金星漢
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金 星漢 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김 성한、김 세한 |
漢字: | 金 星漢、金 勢漢 |
発音: | キム・ソンハン、ギム・セハン |
日本語読み: | きん せいかん |
ローマ字: | Gim Seonghan、Gim Sehan |
English: | Kim Seonghan、Kim Saehan |
金 星漢(きん せいかん、김 성한)または金 勢漢(きん せいかん、김 세한)は、新羅初期の王族で、異名は星漢王または太祖星漢王、勢漢王。文武王陵碑では、文武王の15代祖[1]と興徳王の24代祖とされている。
概要
[編集]『三国史記』や『三国遺事』の記録では金閼智が慶州金氏の始祖とされているが、文武王陵碑や金仁問の墓碑文、真澈大師塔碑文、真空大師塔碑文、興徳王陵碑では、星漢が慶州金氏の始祖とされている。
1954年に山西省で見つかった大唐故金氏夫人墓銘や新羅文武王陵碑や新羅の各種金石文などでは、金星漢は金日磾の末裔と記録されており、韓国の学者には、積石木槨墳の副葬品と匈奴との類似性などを根拠に、新羅王家の匈奴渡来を指摘する意見がある[2][3][4][5][6][7]。これについて、韓国の公共放送局KBSがドキュメンタリーを報道したこともある[8][9][10]。
脚注
[編集]- ^ “문무왕릉비 사실상 다 찾은 셈”. 京郷新聞. (2009年9月3日). オリジナルの2022年3月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ 韓洪九『21세기에는 바꿔야 할 거짓말 Lie should be changed in the 21st century』ハンギョレ、2006年。ISBN 8984311979 。
- ^ “흉노왕의 후손 김일제 유적을 찾아서”. 新東亜. (1999年8月). オリジナルの2017年8月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ 趙甲濟 (2004年3月). “騎馬흉노국가 新羅 연구 趙甲濟(月刊朝鮮 편집장)의 심층취재 내 몸속을 흐르는 흉노의 피”. 月刊朝鮮. オリジナルの2012年1月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “洗濯板として使われてきた新羅文武王陵碑の上部発見”. 中央日報. (2009年9月4日). オリジナルの2022年2月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “김운회의 '대쥬신을 찾아서' <23> 금관의 나라, 신라””. プレシアン. (2005年8月30日). オリジナルの2012年1月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “경주 사천왕사(寺)사천왕상(四天王像)왜 4개가 아니라 3개일까”. 朝鮮日報. (2009年2月27日). オリジナルの2014年12月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “제1회: 2부작 문무왕릉비의 비밀 - 제1편: 신라 김씨왕족은 흉노(匈奴)의 후손인가?”. KBS. (2008年11月22日). オリジナルの2012年5月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “제2회: 2부작 문무왕비문의 비밀 - 제2편: 왜 흉노(匈奴)의 후예라고 밝혔나?”. KBS. (2008年11月29日). オリジナルの2012年5月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ “채널돋보기 신라 김씨 왕족은 흉노의 후손일까?”. 毎日新聞. (2008年11月21日). オリジナルの2014年12月29日時点におけるアーカイブ。
参考文献
[編集]- 金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第1巻、平凡社〈東洋文庫372〉、1980年 ISBN 4-582-80372-5
- 一然撰、坪井九馬三・日下寛校訂『三国遺事』〈文科大学史誌叢書〉東京、1904年(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “한마당―김상온 新羅의 뿌리”. 国民日報. (2004年12月14日). オリジナルの2022年3月3日時点におけるアーカイブ。
- “채널돋보기 신라 김씨 왕족은 흉노의 후손일까?”. 毎日新聞. (2008年11月21日). オリジナルの2014年12月29日時点におけるアーカイブ。
- “경주 사천왕사(寺)사천왕상(四天王像)왜 4개가 아니라 3개일까”. 朝鮮日報. (2009年2月27日). オリジナルの2014年12月30日時点におけるアーカイブ。
- “김성회의 뿌리를 찾아서 <6> 김씨의 기원”. 世界日報. (2011年4月12日). オリジナルの2018年6月12日時点におけるアーカイブ。
- “문무왕릉비 사실상 다 찾은 셈”. 京郷新聞. (2009年9月3日). オリジナルの2022年3月3日時点におけるアーカイブ。