金恩済
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金恩済 | |
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生誕 |
1906年7月15日 大韓帝国平安北道定州郡 |
死没 |
1936年10月23日(30歳没) 中華民国陝西省西安 |
所属組織 | 中華民国空軍 |
最終階級 | 中尉 |
金 恩済(金恩濟、キム・ウンジェ、김은제)は、中華民国空軍の軍人。別名は金殷濟[1]。
生涯
[編集]中央陸軍軍官学校第6期騎兵科に入学。学生第1総隊騎兵隊騎兵第2連配属[2]。1929年5月、卒業。1931年3月、中央航空学校第1期偵察員訓練班卒業[3]。中央航空隊に服務。周至柔の電報によれば、1934年8月の時点で同じ朝鮮出身の崔滄石、張聖哲、金震一らと中央航空学校に在任していた[4]。1935年9月7日、空軍中尉[5]。後に空軍第6大隊第3隊中尉隊員[6]。1936年10月、飛行中に乗機の故障により墜落して死亡。
出典
[編集]- ^ “大韩民国驻广州总领事馆向我馆转交历史资料” (中国語). 中国广州网. 2017年1月17日閲覧。
- ^ 中国黄埔軍校網. “黄埔本校和南京本校第六期騎兵隊騎兵第二連学員姓名籍貫表” (中国語). 2017年1月28日閲覧。
- ^ 中国黄埔軍校網. “中央航空学校第一期学員名録” (中国語). 2017年1月28日閲覧。
- ^ “一般資料—民國二十三年 (三十二)” (中国語). 典蔵台湾. 2017年1月28日閲覧。
- ^ “国民政府令 1840号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年1月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 葉泉宏 (2010),黄埔軍校与韓国独立運動 (PDF) [リンク切れ]
外部リンク
[編集]- “中央航空学校同学録-金恩济” (中国語). 浙江档案网. 2017年2月3日閲覧。