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金子釿蔵

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金子 釿蔵(かねこ きんぞう、生没年不詳)は、1876年(明治9年)から電信局などにつとめた土木技術者[1]

1890年(明治23年)から宮内省内匠寮技手となる[1]。 1898年(明治31年)には東宮御所御造営局技手となるが、1900年(明治33年)に辞職した[1]

脚注

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  1. ^ a b c 『皇室建築 内匠寮の人と作品』420頁。

参考文献

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  • 藤森照信、「エンデ・ベックマンによる官庁集中計画の研究 その5 建築家及び技術者各論」 『日本建築学会論文報告集』 1979年 281巻 p.173-180, doi:10.3130/aijsaxx.281.0_173、日本建築学会
  • 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
  • 旧帝国京都博物館建築工事図面について : 建築歴史・意匠 前 久夫 学術講演梗概集. 計画系 53(建築歴史・建築意匠), 2135-2136, 1978年9月
  • 902 旧帝国京都博物館建築工事図面について : 帝国京都博物館の研究(資料篇)(建築史) 前久夫 『日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系』 (18), 437-440, 1978年5月
  • 卷末附圖京都博物館建築 『建築雑誌』 9(108), 326, 1895年12月, NAID 110003780754
  • 伊東忠太、「國家と建築術との關係を論ず」 『建築雑誌』 9(108), 321-326, 1895年12月, NAID 110003780753