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金子秀三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金子 秀三(かねこ ひでぞう、1900年9月14日 - 1980年9月21日)は、日本の実業家である。RKB毎日放送の社長・会長を務めた。熊本県熊本市出身。

経歴・人物

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1924年慶應義塾大学法学部政治学科を卒業[1]。同年に毎日新聞社に入社し、大連支局長、天津支局長、北京支局長、西部本社論説委員などを歴任した[1]

1951年6月にラジオ九州設立と同時に代表取締役代表に就任した[1]。専務、副社長を経て、1961年11月に社長に就任し、1969年11月に会長に就任し、1971年11月に相談役に就任した[1]日本民間放送連盟で理事、副会長、顧問を務めた[2][3]1965年藍綬褒章を受章し、1970年勲二等瑞宝章を受章した[1]。著書に「音波から映像へ」、「私の飲み食い放談」などがある[3]

1980年9月21日肺がんのために東京都の病院で死去[3]。80歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1979, か166頁.
  2. ^ 民放連について | 一般社団法人 日本民間放送連盟
  3. ^ a b c 1980年9月22日 毎日新聞 朝刊 p23

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第30版 上』人事興信所、1979年。