金子武麿
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金子 武麿(かねこ たけまろ、1897年(明治30年)12月22日[1] - 1959年(昭和34年)1月14日[1][2])は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院伯爵議員。
経歴
[編集]官僚・政治家、金子堅太郎の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1942年(昭和17年)6月1日、伯爵を襲爵した[1][4]。
1922年、東京帝国大学文学部を卒業[2][3]。1923年(大正12年)内閣属となる[2]。以後、加藤友三郎内閣・第2次山本内閣・清浦内閣の内閣総理大臣秘書官、田中義一内閣内閣総理大臣秘書官兼外務大臣秘書官、齋藤内閣・中島久万吉商工大臣秘書官[5]、大礼使事務官などを歴任[2][3]。
実業界では、電気化学工業取締役、台湾電化取締役、日本塗紙工業取締役、東北振興化学監査役、カーバイト共販監査役、東京都商工経済会評議員、日本硫硝酸統制社長などを務めた[2][3]。
1942年(昭和17年)に父である堅太郎が死去して襲爵[6]。1946年(昭和21年)6月27日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 金子堅太郎 |
伯爵 金子(堅太郎)家第2代 1942年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |