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金奉準

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金 奉準
基本情報
本名 Bong Jun Kim
通称 Sleeping Boy
階級 ミニマム級
国籍 大韓民国の旗 韓国
誕生日 (1964-05-13) 1964年5月13日(60歳)
出身地 大韓民国の旗 韓国
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 37
勝ち 24
KO勝ち 10
敗け 10
引き分け 3
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金 奉準キム・ボンジュン: 김 봉준: Bong Jun Kim1964年5月13日 - )は、大韓民国出身の元プロボクサー。元WBA世界ミニマム級王者。全羅南道莞島郡蘆花面出身[1]

プロ戦歴

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1983年7月23日、プロデビュー(4回判定勝ち)。

1986年3月20日、後のWBAWBC世界ミニマム級王者大橋秀行と対戦し、10回判定勝ち。

同年10月25日、空位の韓国ライトフライ級王座決定戦に出場するが、林夏植に4回負傷判定負けを喫し、王座獲得ならず。

1988年1月10日、母国で世界初挑戦。新設のWBA世界初代ミニマム級王座決定戦に出場。レオ・ガメスベネズエラ)と対戦したが、12回判定負けを喫し世界王座獲得ならず。この試合を観戦したジョー小泉は複数の媒体で「採点表を見て絶句した」と、終始攻勢だった金を敗者とする採点を疑問視するレポートを発表している。

その後3戦を行い、1989年4月16日、世界再挑戦。ガメスの王座返上で空位となっていたWBA世界ミニマム級王座をアグスティン・ガルシア(コロンビア)と争い、7回TKO勝ち。26戦目にして世界王者に輝いた。その後、5度の防衛に成功。

1991年2月2日、6度目の防衛戦。崔煕庸との同国人対決となったが、12回判定で敗れ王座陥落。雪辱・王座奪回を懸け、10月26日、崔と再戦するがここでも12回判定負けを喫した。

1992年6月15日、2階級制覇を目指し、WBA世界ライトフライ級王者井岡弘樹に挑戦するが、12回判定負け。その後、1年余りリングから遠ざかる。

1993年7月17日、元WBC世界ライトフライ級王者メルチョ・コブ・カストロメキシコ)と対戦したが、10回判定負け。

1993年11月14日、3度目の日本での試合。東京・後楽園ホールで大場貴志(現・姫路木下ボクシングジム会長の木下貴志)と対戦し、4回TKO負け。結局、この試合を最後に引退した。

脚注

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  1. ^ 잊혀져간 완도스타 영원한 챔프 '김봉준'선수” (朝鮮語). 완도신문 (2007年2月13日). 2023年7月26日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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空位
前タイトル保持者
レオ・ガメス
WBA世界ミニマム級王者

1991年2月2日 - 1992年10月14日

次王者
崔煕庸