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金亨徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金 亨徳(キム・ヒョンドク、朝鮮語: 김형덕/金亨德1915年3月27日[1]または7月27日[2] - 1980年6月30日)は、大韓民国実業家政治家。第2・3代韓国国会議員を歴任した[1]仏教徒[2]

経歴

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日本統治時代の慶尚南道密陽郡(現・密陽市)出身。日本大阪商工学校、東亜大学(現・東亜大学校)政経学部卒。南鮮商工株式会社社長、南鮮ゴム会社社長、大韓肥料会社社長、密陽毛織社長、韓国毛織代表理事、大韓毛織協会理事長、東明中学・女子中学財団理事長、慶南バレーボール協会理事長を歴任した。1950年の第2代総選挙無所属国会議員に当選した後、国会商工分科委員長を務め、その後は自由党に入党した[1][2]

1980年6月30日、持病によりソウル市鐘路区清雲洞の自宅で死去。享年65[3]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年12月23日閲覧。
  2. ^ a b c 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年12月23日閲覧。
  3. ^ 前議員(전의원) 金亨德(김형덕)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1980年6月30日). 2024年12月23日閲覧。