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野田只夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野田 只夫(のだ ただお 1920年10月13日[1]2009年5月13日[2])は、日本の歴史家。

経歴

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京都府生まれ[1]1941年京都府師範学校本科を、1942年に同校専攻科を卒業[1]。その後終戦まで兵役につき、1947年に立命館大学文学部史学科に入学し、1950年に卒業[1]。卒業論文は「酒屋土倉の一考察」[3]。同年、京都学芸大学助手に任じられ、1960年に同大学助教授に昇任。1966年に京都教育大学助教授となり、1975年に同大学教授に昇任。1984年に定年退官し、京都教育大学名誉教授。逝去にあたり、従四位に叙せられ、瑞宝小綬章を受章する[4]

専門は日本中世史で、社会経済史、文化史、部落史の研究につとめ[5]、『丹波国山国荘史料』と『丹波国黒田村史料』の編さんを行ったことでも知られる。

参考文献

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  • 署名なし「野田只夫教授略歴」『桃山歴史・地理』第21号、京都教育大学史学会、1984年、1-2頁、ISSN 02868040 

脚注

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  1. ^ a b c d 署名なし 1984
  2. ^ 東櫻会 - ウェイバックマシン(2023年3月25日アーカイブ分)
  3. ^ 「文學部彙報 立命館大学文学部昭和廿四年度卒業論文題目」『立命館文学』第77号、立命館大学人文会、1951年、71頁、全国書誌番号:00024230 
  4. ^ 『官報』第5091号、平成21年6月15日、p.9.
  5. ^ 熱田順「(研究展望)『丹波国山国荘史料』・『丹波国黒田村史料』の史学史的意義」『日本史研究』第670号、日本史研究会、2018年、20-34頁、doi:10.50940/nihonshikenkyu.670.0_20