野澤密全
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野澤 密全(のざわ みつぜん、1898年9月3日[1] - 1971年11月11日)は、日本の真言宗の僧侶。信貴山真言宗初代管長[2]。信貴山中興の偉人とも称されている[3]。
略歴
[編集]香川県仲多度郡高篠村(現・まんのう町)生まれ[1]。11歳で親元を離れて奈良県の信貴山で寺に入り、14歳の時に僧侶となった。1920年、真言宗京都大学(現・種智院大学)卒業[1]。27歳という異例の若さで宗会議員になったほか、大阪で野澤幼稚園を運営した[4]。
参考文献
[編集]- 『宗教年鑑』(1971年、文化庁、20p)
- 『奈良縣年鑑』(1975年、奈良新聞社、625p)
脚注
[編集]- ^ a b c 『奈良県年鑑 1960年』大和タイムス社、1959年、p.548。
- ^ 1971 & 文化庁, p. 20.
- ^ 1975 & 奈良新聞社, p. 625.
- ^ “昭和の真言宗の代表的人物 野澤密全――PHP活動〈31〉”. 2023年12月11日閲覧。