野本家定
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野本 家定(のもと いえさだ、生没年不詳)は、鎌倉時代の武将で、鎌倉幕府の御家人であったと言われる。通称「野本将監」。
元久3年(1206年)頃に、現在の千葉県野田市尾崎付近に広大な館を築いたとされ、その館の大きさや権力の強さから、付近では「野本将軍」と渾名されたと言い伝えられている。昭和55年(1980年)および昭和60年(1985年)に、この館址の発掘調査が行われ、その館は少なくとも三つ以上の郭を備え、規模の大きいものであったことが明らかになった。現在、この館は「金野井城」と呼ばれている。
遺跡や伝承から、有力な御家人の一人であったことが窺える一方、その人物像や事績には明らかになっていないことが多い。事績らしきものとしては、以下のような話が残されている。
「野本将監は、中里(千葉県野田市)の遊女に惚れ込み、夜な夜な城を抜け出して通っていた。それを不快に思った家臣が、ある夜、途中で将監に斬りかかった。将監は防戦したが、道ばたの松の木が邪魔になり斬り殺されてしまった。遭難の地には将監の首塚が残されている。また将監を弔っている付近の毘沙門堂では、野本将監の祟りを怖れ、松の木を植えないことにしている」
本人だけでなく、一族である野本氏にも、明らかになっていないことが多い。