野島掩体壕
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野島掩体壕(のじまえんたいごう)は神奈川県横浜市金沢区野島町にあった掩体壕。遺構が現地に残されており、現存する掩体壕遺構としては、日本で最大級とされる[1]。
概要
[編集]横須賀海軍航空隊の戦闘機を空襲から退避する目的で、太平洋戦争末期に造られた[1]。1945年(昭和20年)3月15日から6月30日までの間に、横須賀所属の第三〇〇設営隊が工事を担当した[2]。
野島山を東西に地中をくりぬく形で建造された[2]。長さ260 m、幅20 m、入口の高さは7 mの寸法だった[1]。しかし1度も使用されないまま終戦となった[2]。
現在も入口が開いているが、内部崩落の懸念があり、板とフェンスで塞がれて立ち入りが禁止されている[1][2]。
2010年(平成22年)3月に、来歴を伝える説明板が入口前の現地に設置された[1]。現地は野島公園の一部となっている[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “戦闘機の格納庫「野島掩体壕」に説明板設置/横浜”. 神奈川新聞. (2010年3月25日) 2020年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e “横浜に旧日本軍の軍事施設跡は残っているの?”. はまれぽ. (2012年4月25日) 2020年2月7日閲覧。
関連項目
[編集]座標: 北緯35度19分37.9秒 東経139度38分04.9秒 / 北緯35.327194度 東経139.634694度