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野坂清一郎

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野坂 清一郎野坂 淸一郎[1]、のさか せいいちろう、1847年5月4日弘化4年3月20日) - 没年不明)は、日本政治家地主[注 1]鳥取県会議員[1]。鳥取県西伯郡大幡村長[3]。族籍は鳥取県平民[3]

経歴

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鳥取県西伯郡大幡村(のち岸本町、現・伯耆町)出身[1]。弥十郎の長子[1]1872年に第九十六区副戸長に任ぜられる[1]1874年、岸本、吉長両村戸長[1]1875年、押口村戸長兼務[1]

吉定学校保護人、旧会見郡吉定村、上細見村、立岩村、岸本村、押口村、吉長村戸長、同郡上細見、立岩、吉定、岸本、吉長、押口の6村戸長再任、同郡第四番学区学務委員、同郡十七連合戸長、同郡第三四番学区学務委員[1]

1889年、町村制実施に付八幡村古豊千村王子村の主担命ぜられ、村政施設事務取扱、同年大幡村会議員、同年大幡村長[1]

1891年、角盤高等小学校連合町村会議員、同年鳥取県会議員補欠員、尾高、井手組合創立委員、尾高、井手水利組合総代人、同上組合管理者、汗入会見両郡徴兵優待議会町村委員[1]

1892年、汗入会見両郡町村組合会議員[1]1893年、鳥取県会議員、会見郡尚武会評議員、同会幹事、大幡村長、赤十字社正社員、大幡村長委員[1]

1895年、大幡村会議員、因伯米改良組合委員、牧原組合会議員、牧原組合長[1]1898年、大幡村長、大幡村外六ヶ村学校組合議員、大幡村実業会長、西伯郡畜産組合、大幡村世話係、同郡小作奨励組合、大幡村支部長、尚武会大幡村支部長、同会幹事、大幡村会議員、西伯郡蚕糸同業組合大幡村地方委員[1]

人物

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村政、県政、教育、実業、衛生等地方あらゆる大小幾多の職事に尽瘁する[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『国民日用便覧 明治43年刊』によると、大幡村岸本の野坂清一郎は地価「1000円以上」所有者である[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『島根鳥取名士列伝 下』159 - 162頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月4日閲覧。
  2. ^ 『国民日用便覧 明治43年刊』西伯郡之部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月4日閲覧。
  3. ^ a b 『鳥取県職員録 明治29年4月現在』54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月4日閲覧。

参考文献

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  • 『鳥取県職員録 明治29年4月現在』鳥取県、1896年。
  • 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 下』博進館、1903 - 1906年。
  • 多納佐三郎編『国民日用便覧 明治43年刊』報光社、1910年。