野口恒樹
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野口 恒樹(のぐち つねき、1901年2月7日 - 1989年11月7日[1])は、日本の哲学者。皇学館大学名誉教授。
人物
[編集]福岡県遠賀郡芦屋町生まれ[1]。 愛媛県師範学校教諭、海軍教授、長崎県立短期大学教授を経て、皇学館大学教授・名誉教授。
経歴
[編集]- 1926年(大正15年) - 京都帝国大学文学部哲学科卒業。
- 1927年(昭和2年) - 愛媛県師範学校教諭。
- 1935年(昭和10年) - 海軍教授海軍機関学校教官。
- 1962年(昭和37年) - 皇学館大学教授。
- 1975年(昭和50年)3月 - 定年退職。
- 1975年(昭和50年)4月 - 皇学館大学客員教授。
- 1978年(昭和53年)4月 - 退職。
- 1978年(昭和53年)4月 - 皇学館大学名誉教授。勲四等旭日小綬章受章[1]。
- 1989年(平成元年) - 脳梗塞のため死去[1][3]。
著書
[編集]- 『現代における「汝」の発見』 皇学館大学出版部、1971年(昭和46年)
- 『我汝哲学の研究 第二篇―新しき思惟』 皇学館大学出版部、1978年(昭和五十三年)
- 『我汝哲学の立場』 下村寅太郎編、南窓社、1989年(昭和64年)
など。