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野上嘉平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野上嘉平
のがみ かへい
生年月日 1863年9月4日
出生地 日本の旗 日本 淡路国三原郡賀集村
(現・兵庫県南あわじ市
没年月日 (1913-10-03) 1913年10月3日(50歳没)
出身校 東京法学校
(現・法政大学
所属政党 憲政本党
称号 勲四等

選挙区 兵庫県郡部選挙区
当選回数 3回
在任期間 1902年 - 1908年3月27日

選挙区 三原郡選挙区
当選回数 2回
在任期間 1892年2月 - 1896年10月1日

三原郡会議員

賀集村長

賀集村会議員
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野上 嘉平(のがみ かへい、1863年9月4日文久3年7月22日[1]〉 - 1913年大正2年〉10月3日[2])は日本の政治家、実業家。衆議院議員憲政本党[2])。勲等は勲四等[3]

略歴

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淡路国三原郡賀集村(現・南あわじ市)に生まれる。東京法学校(現・法政大学)で学んだ後、賀集村会議員、三原郡町村組合会議員、賀集村長、三原郡会議員などを務める。1892年明治25年)2月、兵庫県会議員に三原郡選出で当選した[4]。その後、再選した[4]1896年(明治29年)10月1日、府県制施行に伴い、県議を失職した[4]1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する(連続3期当選)[2][3]

また、淡路銀行頭取、淡路製陶社長、福良汽船・淡路製紙各取締役などを歴任し、淡路民報を発刊する。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、5頁。
  2. ^ a b c 議会制度百年史 衆議院議員名鑑 275コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b 衆議院議員略歴 第1回乃至第19回 185コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c 兵庫県会史 [本編 90コマ]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 『日本人物情報大系 第30巻』皓星社、2000年。
  • 『兵庫県代議士候補人物公評録』大東社、1898年。