野上嘉平
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野上嘉平 のがみ かへい | |
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生年月日 | 1863年9月4日 |
出生地 |
日本 淡路国三原郡賀集村 (現・兵庫県南あわじ市) |
没年月日 | 1913年10月3日(50歳没) |
出身校 |
東京法学校 (現・法政大学) |
所属政党 | 憲政本党 |
称号 | 勲四等 |
選挙区 | 兵庫県郡部選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1902年 - 1908年3月27日 |
兵庫県会議員 | |
選挙区 | 三原郡選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1892年2月 - 1896年10月1日 |
三原郡会議員 | |
賀集村長 | |
賀集村会議員 |
野上 嘉平(のがみ かへい、1863年9月4日〈文久3年7月22日[1]〉 - 1913年〈大正2年〉10月3日[2])は日本の政治家、実業家。衆議院議員(憲政本党[2])。勲等は勲四等[3]。
略歴
[編集]淡路国三原郡賀集村(現・南あわじ市)に生まれる。東京法学校(現・法政大学)で学んだ後、賀集村会議員、三原郡町村組合会議員、賀集村長、三原郡会議員などを務める。1892年(明治25年)2月、兵庫県会議員に三原郡選出で当選した[4]。その後、再選した[4]。1896年(明治29年)10月1日、府県制施行に伴い、県議を失職した[4]。1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する(連続3期当選)[2][3]。
また、淡路銀行頭取、淡路製陶社長、福良汽船・淡路製紙各取締役などを歴任し、淡路民報を発刊する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人物情報大系 第30巻』皓星社、2000年。
- 『兵庫県代議士候補人物公評録』大東社、1898年。