重枝琢巳
重枝 琢巳(しげえだ たくみ、1917年2月21日[1] - 2009年2月18日)は、昭和から平成時代の労働運動家。全日本労働総同盟(同盟)書記長。
経歴
[編集]山口県生まれ。1943年九州帝国大学法文学部経済学科卒業[1][2]。九大では波多野鼎に師事[3]。1946年三井化学工業に入社。同年日本労働組合総同盟(総同盟)九州連合会執行委員[1][2]。1948年日本炭鉱労働組合連合会(炭労)事務局長[2][注 1]。1951年9月加藤閲男、星加要、古賀専らと民主労働運動研究会(民労研)を結成[4]、同会幹事[5]。同年12月民主社会主義連盟(民社連)評議員[6]。1953年2月全国民主主義労働運動連絡協議会(民労連)幹事[7]。1954年全国石炭鉱業労働組合(全炭鉱)書記長兼総同盟副会長。1955年総同盟主事。1958年全炭鉱委員長兼総同盟副会長。1959年全日本労働組合会議(全労会議)副議長[2]。三井三池争議では第二組合を結成[1]。1960年1月民社党中央執行委員[8]。同年11月の第29回衆議院議員総選挙に東京都第5区から民社党公認で出馬したが落選[9]。1964年全日本労働総同盟(同盟)副会長。1968年から1972年同盟書記長[2]。
同盟書記長退任後は、同盟顧問[10]、友愛会議顧問、全炭鉱顧問、民主社会主義研究会議(民社研)常任理事[2]、中京大学教授(1986年4月~1991年3月)を務めた[11]。その他、全国労組生産性企画実践委員会委員(1959~1963年度)[12]、労働問題懇話会代表幹事なども務めた[1]。2000年12月時点で「昭和の日」推進ネット代表委員[13]。1989年に秋の叙勲で勲二等瑞宝章。
著書
[編集]- 『労働運動――二十一世紀へジャンプ』(編、民主社会主義研究会議[民社研叢書]、1988年)
- 『労働運動・温故知新』(民主社会主義研究会議[民社研叢書]、1989年)
- 『二十一世紀のくらし――連帯と友愛の社会づくりとその課題』(編、民主社会主義研究会議[民社研叢書]、1993年)
- 『万感千語――あのとき・このとき』(民社党機関紙局、1993年)
- 『労働運動家 重枝琢巳の仕事』(生産性出版、2004年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 平凡社教育産業センター編『現代人名情報事典』平凡社、1987年、471頁
- ^ a b c d e f 高木郁朗監修、教育文化協会編『日本労働運動史事典』明石書店、2015年、134-135頁
- ^ 片山内閣を支えた学者・政治家、波多野鼎農林大臣! 友愛労働歴史館(2018年4月16日)
- ^ 神代和欣、連合総合生活開発研究所編『戦後50年産業・雇用・労働史』日本労働研究機構、1995年
- ^ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第25集(1953年版)』時事通信社、1952年
- ^ 日本労働年鑑 第25集 1953年版 (PDF) 法政大学大原社会問題研究所
- ^ 中村菊男『戦後民主的労働運動史――同盟会議への歩み』日刊労働通信社、1964年
- ^ 石幡信夫『日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、1990年
- ^ 東京5区 - 第29回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1960年11月20日投票 選挙ドットコム
- ^ 季刊労働法98号(1975/冬季) 労働開発研究会
- ^ 過去の在籍者 |教員一覧 中京大学経済学部
- ^ 『活力・豊かさ・創造~全労生・25年の軌跡~ (PDF) 』全国労働組合生産性会議「25年の軌跡」刊行委員会、1985年
- ^ 役員一覧 特定非営利活動法人「昭和の日」ネットワーク