重工記念長崎病院
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重工記念長崎病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 医療法人重工記念長崎病院 |
英語名称 | Juko Memorial Nagasaki Hospital |
前身 | 三菱重工業株式会社長崎造船所病院(三菱長崎病院) |
標榜診療科 | 内科、外科、眼科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、婦人科、整形外科、歯科・歯科口腔外科、リハビリテーション科、放射線科、形成外科、心療内科 |
許可病床数 |
165床 一般病床:165床 |
開設者 | 医療法人重工記念長崎病院 |
管理者 | 矢部 嘉浩(病院長) |
開設年月日 | 1897年10月 |
所在地 |
〒852-8004 長崎県長崎市丸尾町6番17号 |
位置 | 北緯32度44分44.43秒 東経129度51分37.42秒 / 北緯32.7456750度 東経129.8603944度 |
二次医療圏 | 長崎 |
PJ 医療機関 |
重工記念長崎病院(じゅうこうきねんながさきびょういん)は、長崎県長崎市に所在する病院。かつては三菱重工業が開設する企業立病院であった。
沿革
[編集](この節の出典[1])
- 1897年(明治30年)10月 - 三菱長崎造船所の工場附属病院として開設。
- 1918年(大正7年)10月 - レンガ造3階建に改築。
- 1945年(昭和20年)8月 - 原爆投下時には被害軽微であったため、罹災者の治療にあたる。
- 1958年(昭和33年)4月 - 総合病院の認可を受ける。
- 1964年(昭和39年)4月 - 三菱長崎病院に改称。
- 1975年(昭和50年)12月 - 新館(鉄筋コンクリート5階建)落成。
- 1977年(昭和52年)4月 - 一般保険医療機関の認可を受け、関係者以外の診療も開始。
- 2013年(平成25年)6月 - 救急告示病院認定[2]。
- 2016年(平成28年)4月 - 三菱重工より独立して医療法人化し、重工記念長崎病院となる。
- 2020年(令和2年) 5月 - 長崎市丸尾町の三菱研究所跡地に移転する。
診療科目
[編集]医療機関の指定・認定
[編集]- 保険医療機関[3]
- 労災保険指定医療機関[3]
- 指定自立支援医療機関(更生医療・育成医療・精神通院医療)[3]
- 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関[3]
- 生活保護法指定医療機関[3]
- 難病の患者に対する医療等に関する法律に基づく指定医療機関[3]
- 原子爆弾被害者医療指定医療機関[3]
- 原子爆弾被害者一般疾病医療取扱医療機関[3]
- 公害医療機関[3]
- 母体保護法指定医の配置されている医療機関[3]
- 救急告示病院(二次救急)[4]
- このほか、各種法令による指定・認定病院であるとともに、各学会の認定施設でもある。
分院
[編集]交通アクセス
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “沿革”. 重工記念長崎病院. 2022年6月7日閲覧。
- ^ “救急告示病院”. 重工記念長崎病院. 2022年6月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “ながさき医療機関情報システム”. 長崎県 医療政策課. 2022年6月7日閲覧。
- ^ “長崎県の救急医療体制(令和4年4月1日現在)”. 長崎県 医療政策課. 2022年6月7日閲覧。
- ^ a b “交通機関のご案内”. 重工記念長崎病院. 2022年6月7日閲覧。