重信吉固
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重信 吉固 | |
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生誕 |
1894年11月11日 日本 愛媛県 |
死没 | 1972年10月27日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
重信 吉固(しげのぶ よしかた[1]、1894年(明治27年)11月11日[2] - 1972年(昭和47年)10月27日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1894年(明治27年)に愛媛県で生まれた[2]。陸軍士官学校第27期卒業[3]。1939年(昭和14年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍歩兵学校教官に着任[1]。1940年(昭和15年)8月に歩兵第6連隊長(第11軍・第3師団・歩兵第5旅団)に転じ[1][2]、日中戦争に出動[2]。漢水作戦、第一次長沙作戦、第二次長沙作戦などを連戦し[2]、1942年(昭和17年)8月に陸軍歩兵学校教導連隊長に転じた[1]。
1944年(昭和19年)3月1日に陸軍少将と同時に陸軍歩兵学校附となり[1][4]、3月10日に支那派遣軍歩兵教育隊長に就任した[5]。同年8月1日に機動第1旅団長(関東軍)に転じ[2]、1945年(昭和20年)4月15日に陸軍歩兵学校附となった[6]。同年4月30日に第201師団長(第1総軍・第12方面軍・第36軍)に就任し[2][3]、機動打撃師団として東京都立川で本土決戦に備えた[2][3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 外山 1981, 380頁.
- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 363頁.
- ^ a b c 福川 2001, 364頁.
- ^ 「第38号 昭和19年3月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120903800
- ^ 「第47号 昭和19年3月11日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120904700
- ^ 「第87号 昭和20年4月15日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120939700
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。