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釈慈航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
釈慈航
1895年 - 1954年5月6日
幼名 艾彦才
継栄
法号 慈航
生地 福建省建寧県
自忠和尚
太虚
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釈 慈航(しゃく じこう、1895年 - 1954年5月6日)は、中華民国の禅僧[1][2]

略歴

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1895年、福建省建寧県に生まれる。父の艾炳元は私塾の教員。慈航が10歳の時に母が病死、2年後には父が病死した。舅父から生活を照応する。12歳の時、慈航は仏教に触れ始めた。

1912年、18歳で泰寧県峨眉峰にて出家得度。自忠和尚に師事。翌年秋季、江西省九江能仁寺具足戒を受ける。後、円瑛、諦閑、度厄に師事して学び、泉州開元寺寧波天童寺七塔寺金陵棲霞山安徽九華山常州天寧寺揚州高旻寺浙江普陀山天台県を遊学。1927年、廈門閩南仏学院に入学。1928年の秋季、安慶迎江寺住職に当選。

1930年、慈航は香港からミャンマーまで巡り、ヤンゴン龍華寺に住す。1933年、中国仏学会を創設。1935年、上海に帰国。1936年、慈航は再び南洋を訪れる。シンガポールマレーシアに仏法を宣揚する。慈航は相前後して創設した州菩提学院、ペナン州菩提学院や、シンガポール、セランゴール州イポーペナン州ムラカ州クアラルンプール各地の仏学院、発行『中国仏学』月刊。1948年、ペナン州極楽寺に住した。1948年の秋季、慈航は台湾に行ってきた、台湾仏学院を創設。後、汐止秀峰山彌勒内院を創設。1954年5月6日、彌勒内院にて示寂。

脚注

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