コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

采野吉洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うねの よしひろ
采野 吉洋
プロフィール
愛称 うねちゃん、采神様
出身地 日本の旗 日本 滋賀県大津市
生年月日 (1959-05-14) 1959年5月14日(65歳)
血液型 A型
最終学歴 関西大学卒業
勤務局 南日本放送
職歴 編成局アナウンス部長[注釈 1]
→報道局アナウンス部長[注釈 2]
活動期間 1982年 -
著名な家族 采野友啓(実兄、西日本放送ラジオセンター長)
公式サイト MBC南日本放送
出演番組・活動
出演中 城山スズメ
出演経歴 アニメでGo!Go!

采野 吉洋(うねの よしひろ、1959年昭和34年〉5月14日[1] - )は、MBC南日本放送アナウンサー

略歴

[編集]

滋賀県大津市出身[1]。私立東山高等学校関西大学卒業[1]。中学から大学まで一貫して放送系のクラブに在籍。大学生時代は「海賊放送研究会」で活動し[注釈 3]1982年(昭和57年)にMBCへ入社。同期には上野知子がいる。血液型はA型で、「うねちゃん」と言うニックネームで有名。MBCラジオの「アニメでGo!Go!」では番組内で「アニメキング」と名乗っていた[注釈 4]。「アニメでGo!Go!」終了後は、采野が司会を行う城山スズメ番組内で水曜日16時から放送されているミニコーナー「お父ちゃんのアニメソング」において、懐かしいアニメソングを扱うという趣旨で受け継がれている。ラジオ番組中では「うね神(うねがみ)さま」と呼ばれたり自ら名乗ったりしており、城山スズメ番組内ではリスナーから求められた数々の、ご祈祷を行っている。2011年(平成23年)からアナウンス部長を務める[注釈 5]

実兄は、西日本放送[注釈 6]ラジオセンター長の采野友啓

人物

[編集]

若手の頃、深夜のラジオ番組のパーソナリティを務めた時に、生放送中であるにもかかわらず采野本人を、侮辱や誹謗中傷する投稿が多々見られたハガキ投稿者の、その品の悪さにハガキを破りながら激怒したことがある。

新人当時にある番組で、ロッキード事件公判中だった田中角栄の事務所に電話で取材をしたことがあったが、最後に「頑張って下さい」と伝えたことがあった[1]

病気療養

[編集]

2006年(平成18年)5月、出演番組を突如全て降板。後輩アナウンサーからは「インドへ修行に出た」と洒落か本気か判らないコメントが出されたが、同年8月12日放送の『うねうねWEEKEND』内にて、本人からの録音メッセージにより脳内出血だと明かされた。「突然消えた形になって申し訳ない。現在は退院し通院してリハビリ中。秋口には復帰したい」と語り、復帰まで『うねうねWEEKEND』はレポーターのスマイリー園田が代役を務め、笹田美樹と帰りを待った。『アニメでGo!Go!』は、MBC社内で代役が見つからず、文化放送を中心に他局のアニラジを臨時放送したが、その番組の中には采野や鹿児島のリスナーへ配慮し、MBCラジオ向けに収録した番組もあった。

幸い言語障害はなく、2006年(平成18年)12月6日ラジオのニュース担当として現場復帰。2007年(平成19年)1月1日より『アニメでGo!Go!』に、同年4月から『うねうねWEEKEND』に復帰を果たし、2011年(平成23年)4月からは平日のMBCラジオ「城山スズメ」でメインパーソナリティも務める。しかし、以前よりも番組の出演本数は減り、現在は特番や定時ニュースを除き、ほとんどテレビ出演は無い。

出演番組

[編集]
ラジオ
  • 城山スズメ
    • 金曜(1988年〈昭和63年〉10月 - 1989年〈平成元年〉3月、『夜の城山スズメ』兼務)
    • 月曜 - 金曜(2011〈平成23年〉年4月 - 2022年〈平成24年〉9月)    
    • 月曜-木曜 (2022年〈平成24年〉10月 - )
  • MBC50ニュース
テレビ

過去の出演番組

[編集]
テレビ
ラジオ

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 2011年(平成23年)4月 - 2014年(平成26年)2月28日。
  2. ^ 2014年(平成26年)3月1日 - 。
  3. ^ 1歳年上で、後にラジオ大阪アナウンサーを経てフリーアナウンサーとなる中井雅之も在籍。
  4. ^ アニメキングはZIKUが2代目を采野から授与され、『ZIKUのMusic Express』内のコーナーとして「アニメでGo!Go!」を放送したものの、ほどなく単にアニメソングを流すだけのコーナーと化した。
  5. ^ 2012年12月18日放送のNHKラジオ第一亀渕昭信のにっぽん全国ラジオめぐり』で、『城山スズメ』が取材を受けた際に紹介されている[出典無効]
  6. ^ ラジオはMBCと同系列のJRNNRN
  7. ^ ナレーションなどで不定期出演。番組開始当初はリポーター。
  8. ^ MBC追っかけマン。
  9. ^ 中継リポーター。
  10. ^ MBCキャンパスリーダー。兄の友啓も同時期に、所属局のRNC西日本放送キャンパスリーダーを担当していた。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、292頁。

外部リンク

[編集]