遠藤田一
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遠藤 田一(えんどう でんいち、明和2年(1765年) - 天保5年(1834年))は、江戸時代後期に洋風画を描いた絵師。
来歴
[編集]亜欧堂田善及び谷文晁の門人。俗称は忠兵衛。字は如洋。田一、曙山、曙山楼、後に趣雲斎文豊と号す。陸奥国須賀川(現・福島県須賀川市)の人。商家えびす家に生まれ、後に白河藩主に仕えている。まず田善に就いて洋風画を学び、田善没後、谷文晁に師事している。作画期は文政年間(1818年-1830年)から没年までであった。文政5年(1822年)、田善の没年には田善の肖像画を描いている。油彩の作品はあるが、銅版画は作らなかったようである。晩年には人物画、仏画などを多く手掛けている。享年70。墓所は須賀川市の十念寺。一説によると、生没年は寛政5年(1793年)生まれ弘化2年(1845年)没で、享年53ともいわれる。
作品
[編集]- 「亜欧堂田善肖像」 絹本着色 1幅 文政5年(1822年) 福島県指定有形文化財 須賀川市公式サイトの画像と解説
- 「佃島南望之図」 油彩 扁額 文政13年(1830年) 田村神社(郡山市)所蔵 福島県指定重要有形文化財 郡山市公式サイトの画像と解説
- 「七里ヶ浜眺望之図」 天保5年(1834年) 菅布禰神社(郡山市)所蔵