遠山友福
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦11年11月3日(1761年11月28日) |
死没 | 天明7年4月30日(1787年6月15日) |
改名 | 幼名:午之助・虎五郎→友福 |
官位 | 従五位下和泉守 |
藩 | 美濃苗木藩世嗣 |
氏族 | 遠山氏 |
父母 | 父:遠山友清、養父:遠山友随、母:和田自仙(京都産針医)の娘 |
兄弟 | 友福、岡部長教正室 |
妻 | 側室:芳信院(江戸嘉兵衛の娘) |
子 | 友寿 |
遠山 友福(とおやま ともよし)は、江戸時代中期の美濃国苗木藩の世嗣。官位は従五位下・和泉守。
略歴
[編集]宝暦11年11月3日(1761年11月28日)、9代藩主の遠山友清の長男として生まれた。
安永9年(1780年)2月21日、実父・友清の養子で8代藩主・遠山友随の養嗣子となった。
同年4月1日、10代将軍の徳川家治に拝謁した。
天明4年(1784年)12月16日、従五位下に叙任され和泉守と称した。
天明7年(1787年)4月30日、養父の友随よりも早く、家督を相続することなく没した。代わって、長男の友寿が嫡子となった。