道源権治
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道源権治 どうげん ごんじ | |
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衆議院事務局『衆議院要覧 昭和五年十二月(乙)』より | |
生年月日 | 1869年2月26日 |
出生地 |
日本 周防国都濃郡 (現・山口県周南市) |
没年月日 | 1957年12月7日(88歳没) |
所属政党 |
(茶話会→) 立憲民政党 |
称号 | 勲四等 |
選挙区 | 山口県第2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1930年2月20日 - 1932年1月21日 |
在任期間 | 1904年9月29日 - 1911年9月28日 |
山口県会議員 | |
富田村長 | |
富田村会議員 |
道源 権治(どうげん ごんじ、1869年2月26日〈明治2年1月16日[1]〉 - 1957年〈昭和32年〉12月7日[2][3])は、明治から昭和時代前期の政治家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(1期)。勲等は勲四等[3]。
経歴
[編集]岩崎惣輔の二男として周防国山口藩領都濃郡、後の鹿野村(山口県都濃郡鹿野村、鹿野町を経て現周南市)に生まれる[1][4]。1893年(明治26年)12月、都濃郡富田村(富田町、徳山市を経て現:周南市)の道源岩太郎の養嗣子となる[1][4]。1900年(明治33年)山口県勧業諮問会員を経て、富田村会議員、同村長、山口県会議員を歴任した[2]。ほか、県信用組合連合会長、郡農会長、同産牛畜産会長、同水産会長、富田町教育会長、県購買販売組合連合会長、産業組合中央金庫評議員、恩賜財団済生会評議員、第百十銀行監査役、山口県社会事業協会理事などを務めた[5]。
1904年(明治37年)山口県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1911年(明治44年)9月28日まで在任[2]。会派は茶話会に所属した[7]。1930年(昭和5年)2月の第17回衆議院議員総選挙では山口県第2区から立憲民政党所属で出馬し当選[5]。衆議院議員を1期務めた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 清田伊平 編『日本ダイレクトリー : 御大典紀念』甲寅通信社編集部、1915年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 山口県教育会編『山口県百科事典』大和書房、1982年。