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道源権治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
道源権治
どうげん ごんじ
衆議院事務局『衆議院要覧 昭和五年十二月(乙)』より
生年月日 1869年2月26日
出生地 日本の旗 日本 周防国都濃郡
(現・山口県周南市
没年月日 (1957-12-07) 1957年12月7日(88歳没)
所属政党茶話会→)
立憲民政党
称号 勲四等

選挙区 山口県第2区
当選回数 1回
在任期間 1930年2月20日 - 1932年1月21日

在任期間 1904年9月29日 - 1911年9月28日



富田村会議員
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道源 権治(どうげん ごんじ、1869年2月26日明治2年1月16日[1]〉 - 1957年昭和32年〉12月7日[2][3])は、明治から昭和時代前期の政治家貴族院多額納税者議員衆議院議員(1期)。勲等は勲四等[3]

経歴

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岩崎惣輔の二男として周防国山口藩都濃郡、後の鹿野村山口県都濃郡鹿野村、鹿野町を経て現周南市)に生まれる[1][4]1893年(明治26年)12月、都濃郡富田村富田町徳山市を経て現:周南市)の道源岩太郎の養嗣子となる[1][4]1900年(明治33年)山口県勧業諮問会員を経て、富田村会議員、同村長、山口県会議員を歴任した[2]。ほか、県信用組合連合会長、郡農会長、同産牛畜産会長、同水産会長、富田町教育会長、県購買販売組合連合会長、産業組合中央金庫評議員、恩賜財団済生会評議員、第百十銀行監査役、山口県社会事業協会理事などを務めた[5]

1904年(明治37年)山口県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1911年(明治44年)9月28日まで在任[2]。会派は茶話会に所属した[7]1930年(昭和5年)2月の第17回衆議院議員総選挙では山口県第2区から立憲民政党所属で出馬し当選[5]。衆議院議員を1期務めた[5]

1956年(昭和31年)富田町名誉町民となった[4]

脚注

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  1. ^ a b c 清田 1915, 278頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 204頁.
  3. ^ a b 激動の日本政治史 : 明治・大正・昭和歴代国会議員史録 上 1117コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c 『山口県百科事典』549頁。
  5. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 329頁.
  6. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  7. ^ 貴族院会派一覧 : 1890-1919 (日本近代史料叢書 ; C-2) 68コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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