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進来廉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

進来 廉(すずき れん、1926年 - 2009年5月4日)は、日本の建築家。IAAプロフェッサー。国際建築家連合副会長(UIA)などを歴任。フランスに渡りル・コルビュジエアトリエに学んだ最後の日本人建築家。その後もジャン・プルーヴェシャルロット・ペリアンといったフランス人建築家に師事。ペリアンとは協働して作品を残す。玄・ベルトー・進来は実子。

1950年、東京大学工学部建築学科を卒業し、前川國男建築設計事務所に勤務。前川國男の下で神奈川県立図書館・音楽堂、下関市庁舎の設計に携わる。

1955年からフランスに滞在し、ル・コルビュジエの下で修行。その後コルビュジェの紹介によりジョルジュ・キャンディリスのアトリエで働く。つぎにジャン・プルーヴェの下でフランス文部省学校体育館、アルプススキー場コンペティション案などを手伝う。その後シャルロット・ペリアンに師事。

1963年、日本に帰国。1964年、レン設計事務所(連建築設計事務所)を設立、真島松太と協働。1964年-1966年、東京大学工学部建築学科講師。1964年-1971年、横浜国立大学大学院工学研究科建築学専攻・工学部建築学科講師。1966年-1979年まで、東京電機大学建築学科教授就任。

主な作品に、エールフランス社各支店(ロンドン、パリ、東京支社、大阪支店)インテリアデザイン(シャルロット・ペリアンと共同)、日本建築家協会建築家会館、横浜大通り公園、パリ在仏日本大使館大使官邸改装(シャルロット・ペリアンと共同)、ヒルトップ熱川、並木第2小学校、N氏邸、K+H氏邸、EXPO'70ワコール・リッカーミシン館、勅使河原蒼風「国際現代芸術展」(パリ、グラン・パレで開催)会場、ほか。

参考文献

[編集]

日本の現代住宅 I 1966-1968 ディテール No.2 1964年10月号 秋季号 特集:可動間仕切 新建築1982年1月号 新建築1996年9月号