進徳館 (鯖江藩)
表示
歴史
[編集]江戸時代、鯖江藩では第5代藩主・間部詮熙の時代から、教育に力が注がれ始めた[1]。天明6年(1786年)に藩主となった詮熙は、自らが好む武芸や学問を藩内に奨励[2]。天明8年(1788年)に京都から儒者・芥川元澄(号は思堂)を招き、藩士らの教育を任せた[2][3]。詮熙の長子にして第6代藩主・間部詮允もまた教育に尽力[2]。文化10年(1813年)に稽古場(御稽古所、後の「惜陰堂」)を江戸藩邸(三田小山邸)に設けたのに続き、文化11年(1814年)には鯖江の中小路にも稽古場を設けた[1][2]。その稽古場は天保13年(1842年)、詮熙の子にして第7代藩主・間部詮勝によって「進徳館」に改名された[1][2]。
明治5年(1872年)、学制の頒布に伴い進徳館に惜陰小学校が創設[4]。同校は1900年(明治33年)になって現在の場所に移転したが、「進徳館」の名は惜陰小学校の教育研究室(1973年3月落成)の名として残っているほか、1988年(昭和63年)には惜陰小学校から分割される形で進徳小学校が設立されている[4]。