連声海
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連声海 | |
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Who's Who in China 4th ed. (1931) | |
プロフィール | |
出生: | 1885年(光緒11年) |
死去: |
1947年(民国36年)9月 中華民国 |
出身地: |
清 広東省広州府順徳県 (現:仏山市順徳区) |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 連聲海 |
簡体字: | 连声海 |
拼音: | Lián Shēnghǎi |
ラテン字: | Lien Sing-hai, Lien Sheng-hai |
和名表記: | れん せいかい |
発音転記: | リエン ションハイ |
連 声海(れん せいかい、繁体字: 連聲海; 簡体字: 连声海; 繁体字: 連聲海; 拼音: Lián Shēnghǎi; ウェード式: Lien Sheng-hai)は、中華民国の政治家。字が声海であり、本名は不明。
事績
[編集]上海法政学校を卒業後に日本へ留学し、早稲田大学に入学した。1915年(民国4年)12月、中華革命党広東支部総務科科長に任命されている。翌1916年(民国5年・大正5年)に早稲田大学専門部政治経済科を卒業した[1]。
1917年(民国6年)に帰国し、同年11月に護法軍政府印鋳局局長となった。軍政府が改組されると、大理院刑庭書記官長に移っている。1923年(民国12年)3月に広東大元帥府秘書、1925年(民国14年)9月に広東省政府秘書処主任秘書、1926年(民国15年)1月に広州で民国政府秘書長と歴任した[2][3]。
同年11月、広州国民政府で交通部秘書長に起用され、翌1927年(民国16年)10月には南京国民政府で秘書長に抜擢された。1928年10月から1927年10月国民党中央特別委員会の事務局長として。1928年(民国17年)10月、鉄道部政務次長に移り、1931年(民国20年)6月からは鉄道部部長署理を半年間務めている。その後は全国経済委員会委員に転じ、1935年(民国24年)1月、立法院立法委員となり、後に中央政治委員会交通専門委員会委員も務めている。立法委員在任中の1947年(民国36年)に死去。享年63[2][3]。
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和十年用』早稲田大学校友会、1934年。
中華民国
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