近藤政市
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近藤政市 | |
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生誕 | 1917年(大正6年)8月 日本・愛媛県 |
所属組織 | 大日本帝国 |
部門 | 大日本帝国海軍航空隊 (大日本帝国海軍) |
最終階級 | 少尉 |
戦闘 | 日中戦争 太平洋戦争 |
近藤政市(こんどう まさいち、1917年〈大正6年〉8月 - )は、愛媛県出身の大日本帝国海軍士官、撃墜王。日中戦争、及び第二次世界大戦太平洋戦線において活躍した。1935年に操練を卒業後、中国大陸と南太平洋で4つの母艦航空隊、及び2つの地上基地航空隊に所属した。[1] 中国戦線、及び太平洋戦線での空中戦においては、敵機13機を撃墜したと公認されている。ソロモン諸島上空での空中戦で負傷し、15ヶ月の入院生活を送ったことで、戦死することなく終戦を迎える。
脚注
[編集]- ^ Bryant (Feb 2021). “Masaichi Kondo”. World War II Database. C. Peter Chen, Lava Development. 2 March 2021閲覧。
参考文献
[編集]- Hata, Ikuhiko; Yasuho Izawa Don Cyril Gorham訳 (1989) [1975]. Japanese Naval Aces and Fighter Units in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-315-6