近藤幸正
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近藤 幸正(こんどう ゆきまさ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。通称 左近右衛門。大久保氏の家臣。
略歴
[編集]享禄3年(1530年)、松平清康の宇利城攻めでは松平方に属し、鏑矢を務めたという[1]。
息子は徳川家康に仕えた近藤幸成であり、娘は大久保忠世に嫁いだ [2][3]。 後に幸正の孫・幸綱は家臣を随従して石川家に入り其家臣となった [3]。
幸正は伊勢亀山藩家老近藤幸隆の8世の祖である [4]。墓所は菅生村満性寺(岡崎市) [5]。
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜 11』(続群書類従完成会、1965年、377p)
- 『三重縣鄉土資料叢書』(三重縣鄉土資料刊行會 、1964年、30p)
- 『鈴鹿郡野史 』(柴田厚二郎、1927年、157p)
- 『参河志下巻』(参河志再版刊行会、1934年、323p)
脚注
[編集]- ^ “宇利城”. 2022年12月6日閲覧。
- ^ 続群書類従完成会 1965, p. 377.
- ^ a b 三重縣鄉土資料刊行會 1964, p. 30.
- ^ 柴田厚二郎 1927, p. 157.
- ^ 参河志再版刊行会 1934, p. 323.