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近藤久太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

近藤 久太郎(こんどう ひさたろう、明治16年〈1883年〉 - 明治38年〈1905年〉)は、明治時代の軍人。

父は天然理心流剣術5代目宗主近藤勇五郎。母は新選組局長近藤勇の娘・たま

来歴

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明治16年(1883年)、近藤勇五郎・たま夫妻の長男として誕生。

その3年後の明治19年(1886年)6月28日、母たまが死去、当時久太郎は4歳であった。

その後、父は二度再婚し、最初の継母・たよによって双子の妹が、次の継母・かしによって弟・新吉が生まれる。

久太郎は日露戦争に出征し、明治38年(1905年)、中国の高刀屯患者療養所奉天)で戦病死した。享年23。妻子はなく、近藤勇の嫡流子孫は途絶えることとなった。勇には妾との間にも子供がいたが、その系統が続いているか否かは不明である。

天然理心流剣術宗主は勇五郎の高弟・桜井金八を経て、新吉が継いだ。

縁者

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母方の祖母は松井つね。父方の祖父、宮川音五郎は勇の長兄。大伯父宮川粂次郎は音五郎の弟で勇の次兄。父方の曽祖父(母方の曽祖父でもある)は宮川久次郎。

脚注

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