近江カントリー倶楽部
近江カントリー倶楽部 Omi Country Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 滋賀県湖南市菩提寺1410番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1967年(昭和42年)10月15日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 上西 荘三郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 近江興産株式会社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トーナメント | ・1986年 第19回 日本女子オープンゴルフ選手権競技大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 近江カントリー倶楽部 |
近江カントリー倶楽部(おうみカントリーくらぶ)は、 滋賀県湖南市菩提寺に広がるゴルフ場である。
概要
[編集]繊維問屋芝川商店の平田義太郎の許に、1963年(昭和38年)、滋賀県甲西町に、近江富士を眺めるなだらかな丘陵地がある、ゴルフ場にどうかという情報が入った[1]。持ち込んだのは「能勢カントリー倶楽部」(兵庫県、1960年(昭和35年)開場、設計・上西荘三郎)の社長でありコース設計家・上西荘三郎だった[1]。上西は、能勢カントリー倶楽部の用地不足で工事が足踏みしていた、その時、隣接の所有者である平田義太郎が協力して、その縁で平田は能勢カントリー倶楽部の理事長に就任した[1]。
滋賀県甲西町のゴルフ場用地は、幾つかの池と樹齢100年ほどの老松が散在する土地だった[1]。近江富士(三上山)を望む、標高435メートルのなだらかな山姿が美しい[1]。平田は初めはためらったが、周囲の勧めと地形をみて、これは良いコースができると決断した[1]。1966年(昭和41年)9月、新たなゴルフ場建設に向け母体会社「近江興産株式会社」を設立、社長に平田義太郎が就任した[1]。
1966年(昭和41年)、平田は進行性の癌を患っていることが判明した、コース予定地の買収が残っていたが、手術を拒否して着工した[1]。上西は、6カ月間、現場に泊まり込みで工事監督に当たった[1]。1967年(昭和42年)10月15日、18ホールのゴルフ場が完成、開場の日、平田は最後の華と語った[1]。2年後の昭和69年(昭和44年)7月、平田は最後の華を見届けるかのように永眠した[1]。
コースは、起伏の少ないなだらかなコースから、近江富士を望みながらゴルフを楽しむことが出来る丘陵コースである[2][3]。コースの特徴としては、アウトコースはロングショットが楽しめる距離のあるコース、インコースは正確な繊細なショットが要求される距離の長いミドルコースとなっていることである[2][3]。
日本の女子プロゴルフメジャー大会の1つ、日本ゴルフ協会主催競技でもあり、日本選手権大会に相当する、日本女子オープンゴルフ選手権競技大会などの大会開催の実績がある。
所在地
[編集]〒520-3242 滋賀県湖南市菩提寺1410番地
コース情報
[編集]- 開場日 - 1967年10月15日
- 設計者 - 上西 荘三郎
- 面積 - 730,000m2(約22.0万坪)
- コースタイプ - 丘陵コース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,800ヤード、コースレート73.1
- グリーン - 1グリーン、ベント
- フェアウエイ - コーライ
- ラフ - ノシバ
- ハザード - バンカーの64、池が絡むホール6
- プレースタイル - 乗用カート(5人乗り) 、リモコン式、キャディ・セルフ選択可
- 練習場 - 16打席 330ヤード
- 休場日 - 12月31日、1月1日[4][5]
クラブ情報
[編集]ギャラリー
[編集]- コース - 「近江カントリー倶楽部」、コース紹介
- ハウス - 「近江カントリー倶楽部」、施設紹介
交通アクセス
[編集]メジャー選手権
[編集]- 1986年(昭和61年) - 第19回 日本女子オープンゴルフ選手権競技大会[7]
エピソード
[編集]- コース設計者の上西荘三郎は、戦前の「鳴尾ゴルフ倶楽部」(兵庫県、1920年(大正9年)開場)でプロとなり、ハリー・C・クレーンの下で働き、改造設計のチャールズ・ヒュー・アリソンの仕事も直接見ていた[8]。
- 「近江カントリー倶楽部」は、創業者・平田義太郎が進行性癌と闘いながら造り上げた「最後の華」だった[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「近江カントリー倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年2月17日閲覧
- ^ a b 「近江カントリー倶楽部」、ゴルフダイジェスト、ゴルフ場詳細、2020年11月1日閲覧
- ^ a b 「近江カントリー倶楽部」、ゴルフホットライン、2020年11月1日閲覧
- ^ a b 「近江カントリー倶楽部」、倶楽部概要、2020年11月1日閲覧
- ^ a b 「近江カントリー倶楽部」、ゴルフダイジェスト、ゴルフ場詳細、2020年11月1日閲覧
- ^ 「近江カントリー倶楽部」、交通アクセス、2020年11月1日閲覧
- ^ 「日本女子オープンゴルフ選手権競技」、日本ゴルフ協会、2021年9月14日閲覧
- ^ a b 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「近江カントリー倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年2月17日閲覧
関連文献
[編集]- 『ゴルフ場ガイド 西版』2006-2007、「近江カントリー倶楽部(滋賀県)」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2020年11月1日閲覧
- 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(283回)近江カントリー倶楽部の創設 井上勝純、東京 一季出版、2009年11月、2020年11月1日閲覧
- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「近江カントリー倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年11月1日閲覧