辻本嘉三郎
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辻本 嘉三郎(つじもと かさぶろう、1874年 - 1949年) は、日本の実業家。辻本商店株式会社の創業者。本姓は村岡。
経歴
[編集]村岡家の三男として生まれる[1]。村岡家は大阪天満で乾物問屋を営んでいた。その後、後継者のいない親戚、辻本家に養子として向かい入れられる。また朝鮮半島での食料品市場を開設するに際して、韓国財政顧問である目賀田種太郎男爵や天満市場より推挙され、京城府(現在のソウル)に移住する。
現地では私設市場を設立し南大門市場にて[2]、辻本商店株式会社を設立する。その後、同社は味の素やアサヒビール、カルピス、雪印など30数社の大手企業と特約店契約を結んだ。同社は朝鮮半島で[3]、最大規模の食料品卸売・小売会社にまで成長するとともに、販路を満州にまで広げ、辻本は朝鮮食料品界の王者と称された[4]。支店は大阪、清華、平壌に設立された[5]。
辻本は[6]、京城商工組合連合会会長や京城食料品道商組合長、朝鮮貯蓄銀行取締役、朝日醸造取締役、京城食堂取締役、京仁商船取締役、朝鮮水産販売取締役[7]、朝鮮中央米油取締役などを歴任するなど、韓国の経済界に影響力を持った。他にも、朝鮮製錬の発起人や京城証券信託の創設に携わった。また[8]、京城商業會議所評議員や[9]、朝鮮博覧会評議員を務めた。敗戦後、同社は清算され、辻本は1949年(昭和24年)大阪で亡くなった。
脚注・出典
[編集]- ^ “大京城公職者名鑑. 京城府会議員・京城商工会議所議員・京城府町会総代之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年12月9日閲覧。
- ^ “【天牛書店 Images】”. tengyu-images.com. 2022年7月13日閲覧。
- ^ “朝鮮会社表 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年12月11日閲覧。
- ^ “日本都市大観. 昭和11年版 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年12月11日閲覧。
- ^ “第2章 試練の克服 | 味の素グループの100年史 | 味の素グループ”. 味の素グループ企業情報サイト~Eat Well, Live Well.~AJINOMOTO. 2022年7月12日閲覧。
- ^ “자료일람 | 한국사데이터베이스”. db.history.go.kr. 2022年7月12日閲覧。
- ^ “자료일람 | 한국사데이터베이스”. db.history.go.kr. 2022年7月15日閲覧。
- ^ 『朝鮮事情』朝鮮銀行調査部、1995年 。
- ^ “검색 | 한국사데이터베이스”. db.history.go.kr. 2022年7月12日閲覧。