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辻嘉六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

辻 嘉六(つじ かろく、1877年明治10年〉3月5日[1] - 1948年昭和23年〉12月21日)は、大正時代から昭和時代の実業家、政界のフィクサー[2]

日本化学産業代表取締役を務め、立憲政友会の後援者であった。

経歴

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岐阜県稲葉郡加納町(現・岐阜市)に生まれる[1]

郷里の中学校を中退して上京した。鉱業などの事業に携わり、1922年日満実業(のちの日本化学産業)を創立し、代表取締役に就任した。また陸軍大将児玉源太郎政治家原敬らの知遇を得、政友会系大物政治家と密接な関係を持ちつづけ、1945年日本自由党創立に関与したため、政界の黒幕的存在であった。

有望な政治家に貢ぐのを好み、清国より亡命中の孫文黄興などを援助した。

戦後隠退蔵物資事件への関与を疑われ、衆議院不当財産取引調査委員会でその政治献金を追及された。

家族

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脚注

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  1. ^ a b 『東京岐阜県人綜覧』(濃飛往来社、1938年)p.196
  2. ^ a b 戦後政治史の生き字引・辻トシ子さん ゴッドマザーは健在なり | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)”. 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC). 2023年1月5日閲覧。

外部リンク

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