輜重兵第110連隊
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輜重兵第110連隊 | |
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創設 | 1938年(昭和13年)6月16日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵種/任務 | 輜重兵 |
所在地 | 姫路-石門-洛陽-老河口-洛陽 |
編成地 | 姫路[1] |
通称号/略称 | 鷺3917[2][3] |
補充担任 | 大阪師管区[2] |
最終上級単位 | 第110師団 |
最終位置 | 洛陽[4] |
戦歴 | 日中-太平洋戦争 |
輜重兵第110連隊(しちょうへいだい110れんたい、輜重兵第百十聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊の一つ。
沿革
[編集]日中戦争勃発後の1938年(昭和13年)6月16日[3]、姫路で新設された第110師団の輜重兵連隊の一つとして編成された。兵力補充は大阪師管区の輜重兵補充隊で担当した[2]。同年7月8日に編成完結[2]、北支に出動し京漢線沿線の石門地区の警備に当たった[4]。1943年(昭和18年)5月、師団輜重隊に改編[4]。1944年(昭和19年)3月、京漢作戦に参加し、洛陽を占領後警備に当たる[4]。1945年(昭和20年)4月、老河口作戦を経て、再び洛陽に戻り終戦を迎えた[4]。
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 備考 |
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1 | 越智光之助[5] | 1938.6.18[5] - | 陸士25期[6] | 中佐[5] |
2 | 小山修三[7] | 1940.8.1[7] - | 陸士29期[7][8] | 中佐[7] |
3 | 甲斐親次[7] | 1942.7[7] - | 少佐[7] | |
尾崎真三[4] | - 終戦[4] | 師団輜重隊長、大尉[4] |
脚注
[編集]- ^ 外山、森松 1987, 514頁.
- ^ a b c d 「94.110D 第110師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011174800
- ^ a b 「88.110D 第110師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011209200
- ^ a b c d e f g h 新人物往来社 1991, 192頁.
- ^ a b c 外山、森松 1987, 515頁.
- ^ 山崎 1990, 237頁.
- ^ a b c d e f g 外山、森松 1987, 665頁.
- ^ 山崎 1990, 238頁.
参考文献
[編集]- 外山操、森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 山崎正男 編『陸軍士官学校:保存版』(第8)秋元書房、1990年。
- 『日本陸軍機械化部隊総覧』新人物往来社〈別冊歴史読本 特別増刊第41号 戦記シリーズ〉、1991年。