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軍事委員会調査統計局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Bureau of Investigation and Statistics
国民政府军事委员会调查统计局
Intelligence gathering and covert spying概要
設立年月日1927
解散年月日1946
継承後組織
監督大臣

国民政府軍務委員会調査統計局(こくみんせいふぐんむいいんかいちょうさとうけいきょく、軍務局:Bureau of Investigation and Statistics)は、 中国国民党の秘密工作組織である。

日中戦争時代は、軍事委員会調査統計局と呼ばれ、略して軍統として知られた[1]

歴史

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特務処時代

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中華民国の軍統系情報機関の歴史は、北伐時代に始まる。1928年、国民革命軍総司令蔣介石は、総司令部内に密査組を設立した。戴笠が同組の主持を担当し、北伐前線の軍事情報の調查収集を担当した[2][3]

1931年に満州事変、1932年には第1次上海事変が起こった。1932年3月、国民政府軍事委員長蔣介石は、高級軍事会議を招集し、情報網を組織し、調査資料を収集し、国內外情勢を研究して、外敵を防ぎ、国家安定の参考にすることを決議した。同年4月1日、特務処が設置された。同年9月、軍事委員会に調査統計局が設置され、特務処は第二処に改称されて同局の管轄下に入った[2]

軍統局時代

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1937年、日中戦争が勃発し、情報工作が日増しに重要となったため、特務処は軍事委員会調査統計局軍統)に拡大された。局長は軍委高級長官が兼任し、副局長は戴笠が務め実務を担当した[2]

保密局時代

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終戦後の1946年5月、国民党政府は南京に復帰し、軍事委員会が廃止され、国防部が成立した。同年8月、軍統局は国防部保密局に改編され、保全・防諜工作を担当した[2]

1950年6月、保密局が正式に編成された。台北士林芝山岩に局本部を設置し、国内保安工作と情報収集を担当した[2]

脚注

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出典

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  1. ^ 土屋光芳「「戦わざる軍隊」:汪政権軍の特質についての一考察」『政經論叢』第78巻第3-4号、明治大学政治経済研究所、2010年1月、47-100頁、ISSN 0387-3285 
  2. ^ a b c d e 中華民國國防部中文版 »國軍單位 »參謀本部直屬機關 »軍事情報局 »單位簡介”. 2015年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月21日閲覧。
  3. ^ 中華民國國防部中文版 »國軍單位 »參謀本部直屬機關 »軍事情報局 »工作創始人”. 2016年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月21日閲覧。

参考文献

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