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車明珠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
車明珠(チャ・ミョンジュ)
Cha Myeong-Joo
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 釜山広域市
生年月日 (1973-09-22) 1973年9月22日(51歳)
身長
体重
173 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 1次ドラフト
初出場 1996年
最終出場 2006年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

車明珠[1] (チャ・ミョンジュ、朝鮮語: 차명주1973年9月22日 - )は 韓国プロ野球・斗山ベアーズに所属していた大韓民国出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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ロッテ時代

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アマチュア時代から国家代表の常連だった。慶南商業高等学校と漢陽大学校を卒業した後、ロッテの1次指名を受けて入団した。

契約金は5億ウォンという破格のものだったが目立った活躍は出来ず、崔基文を相手にトレードされた。

斗山時代

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移籍後は金寅植監督の意向で主にリリーフとして起用されるようになり、車明珠自身も期待に応えてキャリアハイの成績を出した。

2001年にはチーム最多となる84試合に出場した。

そして2003年までの3年間は全てホールド数一位を記録し、中継ぎとして重要な役割を果たした。

しかし金卿文が監督に就任すると首脳陣と対立するようになり、外野手の林載哲+現金5,000万ウォンを相手に韓華イーグルスへトレードされた[2]

韓華時代

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移籍後もリリーフとして活躍した。

2006年にFAを行使したが韓華との交渉は決裂。かといって他のチームも獲得に乗り出す球団はなく現役引退を宣言し、野球界を去った。

引退後

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2009年からは解説者として活動をしていた。

現在は瑞草区で幼少専門会員制リハビリセンターを運営している[3]

プレースタイル・人物

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ロールモデルは朴賛浩趙成珉である。

詳細情報

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年度別投手成績

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年度 チーム 平均自責点 試合 勝利 敗戦 セーブ ホールド 完投 イニング 被安打 被本塁打 四死球 奪三振 失点 自責点
1996 ロッテ(韓国) 7.43 27 2 5 8 0 0 46 57 4 34 29 43 38
1997 4.68 25 7 9 0 0 0 107⅔ 124 8 58 64 65 56
1998 4.99 33 0 7 0 0 2 92 95 13 40 41 61 51
1999 斗山 4.01 83 1 2 1 0 0 76⅓ 84 4 37 60 38 34
2000 4.50 57 1 1 1 2 0 40 44 5 32 33 30 20
2001 3.42 84 6 2 1 18 0 97⅓ 86 6 49 73 42 37
2002 3.86 67 1 2 1 17 0 51⅓ 46 4 19 37 23 22
2003 4.35 77 1 1 0 16 0 31 28 0 17 14 18 15
2004 斗山
韓華
2.45 32 0 1 0 11 0 14⅔ 14 0 8 11 5 4
2005 韓華 5.88 77 4 1 0 12 0 33⅔ 46 3 13 17 23 22
2006 3.27 51 3 0 0 4 0 22 20 1 7 11 11 8
通算 11シーズン 4.51 613 26 31 12 80 2 612 644 48 314 390 359 307

背番号

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  • 70 (1996年 - 1997年)
  • 7 (1998年)
  • 17 (1999年 - 2006年)

出身学校

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脚注

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外部リンク

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