足立鍬太郎
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足立 鍬太郎(あだち くわたろう、慶応3年2月10日(1867年3月15日) - 昭和7年(1932年)11月18日)は、日本の教育者、郷土史家。
略歴
[編集]出雲国松江鍛冶(現島根県松江市)出身。1884年島根県師範学校卒業。島根県内小学校の訓導となり、1885年校長に就任。1894年新潟県尋常中学校助教諭。1906年長野県立飯山中学校初代校長。1911年長野県立諏訪中学校校長。1912年静岡県賀茂郡立豆陽学校校長。1921年島田高等女学校校長。静岡県の郷土史を研究し、静岡県史蹟名勝天然記念物調査委員、静岡市史編纂主事、静岡県史編纂主事を務める。次男は文部官僚の井上赳。
著書
[編集]校歌の作詞
[編集]- 長野県飯山北高等学校
- 飯山市立秋津小学校
- 飯綱町立三水小学校
参考文献
[編集]- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ 2004年