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趙鵬第

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
趙鵬第
『満洲国現勢 康徳六年版』(1939年)
プロフィール
出生: 1878年光緒4年)[1][2][3]
死去: 没年不詳
出身地: 清の旗 江蘇省鎮江県[1][2][4]
職業: 官僚・司法官・銀行家・実業家
各種表記
繁体字 趙鵬第
簡体字 赵鹏第
拼音 Zhào Péngdì
ラテン字 Chao P'eng-ti
和名表記: ちょう ほうだい
発音転記: チャオ・ポンティ
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趙 鵬第(ちょう ほうだい、1878年[3] – 没年不詳)は、中華民国満洲国の官僚・司法官・銀行家・実業家。別号は雪門[2]

事績

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奉天法律講習所を卒業。中華民国時代は営口初級審判庁推事、奉天高等審判庁民庭長、北京総検察庁書記官、奉天高等審判長主任書記官を歴任[5]。この他にも東三省官銀号委員、黒竜江督軍公署諮議、吉林官銀号幇弁なども歴任したという[1]

満洲事変後に奉天省公署秘書長兼財政庁庁長に任命された。満洲国が建国されると、奉天省民政庁長に移っている。1934年康徳元年)7月、日本内地見学を行う[2]1937年(康徳4年)6月30日、竜江省長に任命された[6]1939年8月18日に辞任すると、以後は官界を離れている。1943年(康徳10年)時点では、満洲国協和会奉天市本部常任委員、満洲演芸協会株式会社社長、満洲映画協会株式会社監事、瀋陽商業銀行常務監査人などをつとめていた[1][5]

1944年以降における趙鵬第の行方は不詳となっている。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 満蒙資料協会編(1943)、379頁。
  2. ^ a b c d 尾崎監修(1940)、40頁。
  3. ^ a b 帝国秘密探偵社編(1943)は「1887年(光緒13年)」生まれとしているが、満蒙資料協会編(1943)と尾崎監修(1940)に従う。
  4. ^ 帝国秘密探偵社編(1943)は「江蘇省丹徒県」としているが、満蒙資料協会編(1943)と尾崎監修(1940)に従う。
  5. ^ a b 帝国秘密探偵社編(1943)、「満洲」186頁。
  6. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、73頁。

参考文献

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  • 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第十四版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 12』創元社、1940年。 
  • 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  満州国
先代
金壁東
竜江省長
1937年6月30日 - 1939年8月18日
次代
黄富俊