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趙 金珠(ちょう きんじゅ、1116年[1] - ?)は、北宋の徽宗の第27皇女(夭逝を除いて第16皇女)。
婉容嬪劉氏(後に明節皇后の諡号を追贈された)の娘として生まれた。同母兄に建安郡王趙柍、同母弟に嘉国公趙椅がいる。政和7年(1117年)2月に、和福帝姫の位を授けられた。
靖康の変後、和福帝姫は金に連行され、天会6年(1128年)8月、数え12歳で洗衣院に下された。
- ^ 趙金珠は建安郡王の同母妹である。『宋会要輯稿』によれば「建安郡王、政和五年六月生。和福公主、政和七年二月封和福帝姫。」、『開封府状』によれば「和福帝姫12歳。名金珠。」。