趙植
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趙 植(ちょう しょく、1108年 - ?)は、北宋の徽宗の第12皇子(夭逝を除いて第10皇子)。
経歴
[編集]婉容嬪王氏(後に懿粛貴妃となった)の長男として大観2年(1108年)6月に生まれた。同母姉に恵淑帝姫・康淑帝姫、同母妹に柔福帝姫・賢福帝姫がいる。
同年9月、呉国公の位を授けられた。政和3年(1113年)正月、太保の官職を授けられた。宣和4年(1122年)2月12日、信都郡王を再授された。同年12月、莘王を加授された。
靖康の変後、金に連行され、五国城に定住した。以後の動静は不明であるが、『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで金で健在であったという。
家族
[編集]いずれも金に連行された。
- 男子:趙成定 - 金で天会8年(1132年)に生まれた。
伝記資料
[編集]- 『靖康稗史箋證』
- 『宋会要輯稿』
- 『三朝北盟会編』
- 『皇子植特授依前検校、太保、安遠軍節度使、開府儀同三司、進封信都郡王加食邑食実封制』宣和四年二月十二日冠礼