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趙俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

趙 俊(ちょう しゅん、熙寧6年4月1日1073年5月16日)- 熙寧10年10月23日1077年11月17日))は、北宋神宗の三男。

経歴

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才人宋氏(後に貴妃)の次男として生まれた。皇長子(成王趙佾)の同母弟で、賢孝帝姫の同母兄である。

他の4人の男子はみな早世していたため、父の神宗は特に趙俊を愛した。熙寧7年(1074年)1月、永国公に封ぜられた。幼頃から責任感が強く、官爵を自称し、気持ちを表に出さない性格をしていたという。

熙寧10年(1077年)10月、薨去した。神宗は朝廷を5日間停止し、2人の医官を降格して追い出した。趙俊は兗王の位を追贈され、「哀献」とされて、普安院に葬られた。元豊2年(1079年)、祖父の英宗の永厚陵に従葬された。元符3年(1100年)3月、弟の徽宗により唐王の位を再追贈された。

伝記資料

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  • 宋史
  • 『宋会要輯稿』
  • 『故兗哀献王追封記』