趙俊
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趙 俊(ちょう しゅん、熙寧6年4月1日(1073年5月16日)- 熙寧10年10月23日(1077年11月17日))は、北宋の神宗の三男。
経歴
[編集]才人宋氏(後に貴妃)の次男として生まれた。皇長子(成王趙佾)の同母弟で、賢孝帝姫の同母兄である。
他の4人の男子はみな早世していたため、父の神宗は特に趙俊を愛した。熙寧7年(1074年)1月、永国公に封ぜられた。幼頃から責任感が強く、官爵を自称し、気持ちを表に出さない性格をしていたという。
熙寧10年(1077年)10月、薨去した。神宗は朝廷を5日間停止し、2人の医官を降格して追い出した。趙俊は兗王の位を追贈され、「哀献」と諡されて、普安院に葬られた。元豊2年(1079年)、祖父の英宗の永厚陵に従葬された。元符3年(1100年)3月、弟の徽宗により唐王の位を再追贈された。
伝記資料
[編集]- 『宋史』
- 『宋会要輯稿』
- 『故兗哀献王追封記』