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越前市島会館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
越前市島会館
越前市島会館の位置(福井県内)
越前市島会館
情報
旧名称 粟田部町立花筐文庫
用途 コミュニティセンター
旧用途 図書館
設計者 今藤仁三郎(今藤工務店)[1]
施工 上木組[1]
構造形式 鉄筋コンクリート造[1]
階数 2階建[1]
竣工 1936年5月
所在地 915-0242
福井県越前市粟田部町第22号21番地の1
座標 北緯35度55分02.9秒 東経136度14分10.8秒 / 北緯35.917472度 東経136.236333度 / 35.917472; 136.236333 (越前市島会館)座標: 北緯35度55分02.9秒 東経136度14分10.8秒 / 北緯35.917472度 東経136.236333度 / 35.917472; 136.236333 (越前市島会館)
文化財 なし
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越前市島会館(えちぜんししまかいかん)は、福井県越前市粟田部町第22号21番地の1にある建築物

1936年(昭和11年)5月に実業家の嶋連太郎(島連太郎)によって建設された[1]粟田部町立花筐文庫(あわたべちょうりつかきょうぶんこ)、今立町立花筐文庫(いまだてちょうりつかきょうぶんこ)という名称で図書館として使用された。1983年(昭和58年)以後はコミュニティセンターとして使用され、2005年(平成17年)の越前市の発足とともに現在の名称となった。

歴史

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東京で印刷会社の三秀舎を創業した実業家の嶋連太郎(島連太郎)は今立郡粟田部村出身である[1][2]。1936年(昭和11年)5月、島は図書館の建物を建設して粟田部町に寄贈し[2]、粟田部町立花筐文庫が開館した。粟田部町の規模を考えると、モダンな粟田部町立花筐文庫は画期的な建物だったとされる[1]。1908年(明治41年)には福井県7番目の図書館として花筐図書館が設置されており、設置当初は公立図書館ではなく私立図書館だった[1]

粟田部町は1956年(昭和31年)に今立町に改称したため、粟田部町立花筐文庫から今立町立花筐文庫に改称した。1972年(昭和47年)9月には今立町福祉センターが開館し、センター内に今立町立花筐図書館分館が設置されたため、今立町立花筐図書館本館(粟田部島会館)は事実上の閉館となっている。

1983年(昭和58年)には新しい今立町立図書館が開館したため、花筐文庫は粟田部島会館および粟田部協議会に改称され、粟田部地区のコミュニティセンターや今立町役場の保管庫となった[1]。この建物は十分な活用がなされないまま数十年を経ており、2005年(平成17年)に今立町と武生市が合併して越前市となると、月額33万円の賃借料が問題となった[3]。越前市は寄贈者の名前をとって越前市島会館に改称している。

建築

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設計は今藤工務店の今藤仁三郎[2]。南側に鉄筋コンクリート造2階建ての書庫、北側に木造平屋建ての閲覧室があり、両者は渡り廊下で接続されている[1]。西洋様式を取り入れた鉄筋コンクリート造の建築としては、福井県内で最初期に建設された建築物である[4]

白い壁面に縦長の窓が並び、また階段室から続く塔屋を備えている[2]。北東角の階段室にはカーテンウォールが採用されており、縦長の窓や塔屋と合わせてモダンな印象を与えている[2]。花筐公園の南側に位置し、福泉寺や粟生寺や善光寺や教順寺など、周囲には寺院が立ち並んでいる。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 福井県教育委員会 1999, p. 127.
  2. ^ a b c d e 伊藤 & 米山 2010, p. 81.
  3. ^ 「旧図書館の洋館『保存を』70年の歴史、住民ら学ぶ 越前市」『朝日新聞』2008年10月17日
  4. ^ 越前市島会館設置及び管理条例”. 越前市. 2019年5月31日閲覧。

参考文献

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  • 伊藤隆之 撮影、米山勇 監修『日本近代建築大全』 西日本篇、講談社、2010年7月。ISBN 978-4-06-216028-5 
  • 『福井県の近代化遺産』福井県教育委員会、1999年3月。全国書誌番号:20134848 
  • 福井県教育史研究室『福井県教育百年史』 第2巻(通史編2)、福井県教育委員会、1979年10月。全国書誌番号:87053089 

外部リンク

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