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赤羽八幡神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八幡神社

拝殿
地図
所在地 東京都北区赤羽台4-1-6[1]
位置 北緯35度47分0秒 東経139度43分1秒 / 北緯35.78333度 東経139.71694度 / 35.78333; 139.71694 (赤羽八幡神社)座標: 北緯35度47分0秒 東経139度43分1秒 / 北緯35.78333度 東経139.71694度 / 35.78333; 139.71694 (赤羽八幡神社)
主祭神 応神天皇
仲哀天皇
神功皇后[1]
社格郷社のち村社
創建 延暦3年(784年
別名 赤羽八幡神社
例祭例大祭)9月15日[1]
地図
八幡神社の位置(東京都区部内)
八幡神社
八幡神社
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赤羽八幡神社(あかばねはちまんじんじゃ)は、東京都北区赤羽台にある神社八幡宮の一社。旧:赤羽村鎮守かつ岩淵郷五ヶ村(旧:岩淵町、現在の赤羽地区)の総鎮守とされる[注釈 1]。社務所の下に東北上越北陸新幹線埼京線のトンネルが作られている。登記上の宗教法人名称は八幡神社(はちまんじんじゃ)。

祭神

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境内社

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境内社
  • 古峰神社
  • 赤羽招魂社 - 旧陸軍工兵第一大隊の営内神社に地域の英霊を合祀
  • 北野神社
  • 疱瘡神社
  • 大国主神社
  • 稲荷神社
  • 住吉神社
  • 大山神社
  • 阿夫利神社
  • 御嶽神社
  • 天祖神社
  • 春日神社

兼務社

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赤羽八幡神社宮司の兼務社は以下の通り。これらの神社はすべて江戸時代には別当寺持ちで神職はおらず、明治の神仏分離で元から神職のいた赤羽村の八幡神社の兼務社となった。

  • 八雲神社:創建年代不明、岩淵本宿町鎮守(旧:村社)、北区岩淵町22-21
  • 諏訪神社応永3年(1396年)創建、袋村鎮守(旧:村社)、北区赤羽北3-1-2
  • 熊野神社正和元年(1312年)創建、下村鎮守(旧:村社)、北区志茂4-19-1
  • 香取神社:創建年代不明、稲付村鎮守(旧:村社)、北区赤羽西2-22-7

由緒

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延暦3年(784年)に坂上田村麻呂が当地に陣を張り、3柱を勧請したことにより創建された[3][1]。その後源頼光源頼政太田道灌と太田一族により再興された[3][注釈 2]。明治初期まで赤羽総鎮守の扱いを受けていたため明治4年(1871年)の氏子調では郷社とされたが、明治5年(1872年)の近代社格制度においては村社(赤羽村鎮守)に格下げされた[3][注釈 3]

昭和46年(1971年)に東北・上越新幹線の建設が決まると当社の神域を通ることは避けられず、神社氏子ともに反対するものの、最終的には国の決定を受け入れざるを得なかった。ただし社務所の下を通ることとなり、本殿の下を通ることは避けられた。近年は関ジャニ∞のファンがよく訪れる神社としても知られる[4]

交通

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不祥事

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2024年、2億5千万円の所得隠しが発覚した[4]東京国税局税務調査による。

脚注

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記稿』赤羽根村、「当村及下村袋村稲付村岩淵宿等の惣鎮守とす」[2]
  2. ^ 天文20年(1551年)の太田新六郎康資による寄進状では「岩淵之内赤場根八幡」と記載があり[2]、地名・社名の変遷がうかがえる。
  3. ^ これは当初の郷社制度自体が短期間で終わり意味合いが変わったため。詳細は氏子調#行政単位と郷社および近代社格制度#分類を参照。

出典

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参考文献

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  • 「赤羽根村 八幡社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ17豊島郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/94 
  • 八幡神社”. 東京都神社庁. 2020年7月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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