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赤岡重樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

赤岡 重樹(あかおか しげき、明治17年(1884年7月8日 - 昭和40年(1965年8月11日)は、山梨県出身の郷土史家。

略歴

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山梨県北巨摩郡若神子村二日市場(現在の北杜市)に、父「九十郎」、母「うめ」の長男として生まれる。明治37年(1904年)に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、神宮皇学館本科(現在の皇學館大学)を明治43年(1910年)に卒業。

大正4年(1915年)には甲府商業会議所が赤岡を主任に「甲斐史」編纂会の設立を企図したがこれは頓挫し、同年11月には若尾財閥の当主・若尾謹之助がこれを引き継いで「山梨県志」編纂会を立ち上げ、赤岡は総裁に任用された。他の委員とともに5年間に渡って山梨県内の史料調査に当たっている。「山梨県志」は1923年(大正12年)の関東大震災により原稿が焼失し、さらに若尾家の没落により頓挫した。

大正8年(1919年)10月に山梨県立甲府高等女学校(現在の山梨県立甲府西高等学校)の教諭となり、昭和14年(1939年)3月に同校の教頭で退職するまで勤務している。また、大正9年(1920年)6月には山梨県史跡名勝天然記念物調査委員に嘱託され、西山梨郡誌、中巨摩郡誌の編纂に当たり、終戦後は山梨県護国神社宮司を昭和25年(1950年)3月まで務めたほか、山梨県文化財調査委員となるなどし、昭和32年(1957年)には山梨県文化功労者として表彰されている。

なお、生前収集された郷土史料は昭和42年(1967年)5月11日に遺族から山梨県立図書館に寄贈され、現在は「赤岡重樹旧蔵資料」として山梨県立博物館に移管されている。

著作

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  • 『甲斐国式内社並国史現在社考』真誠堂赤岡書店 大正8年(1919年)刊
  • 『山梨県教育史』山梨県 昭和6年(1931年)刊
  • 『甲斐国古社史考』オリオン堂書店 昭和11年(1936年)刊
  • 『甲斐郷土年表便覧』オリオン堂書店 昭和26年(1951年)刊

参考文献

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  • 『山梨百科事典 創刊120周年記念版』山梨日日新聞社編 平成4年(1998年)刊


脚注

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