乃木神社 (東京都港区)
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(赤坂王子稲荷神社から転送)
乃木神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 東京都港区赤坂八丁目11番27号[1] |
位置 | 北緯35度40分08秒 東経139度43分41秒 / 北緯35.66889度 東経139.72806度座標: 北緯35度40分08秒 東経139度43分41秒 / 北緯35.66889度 東経139.72806度 |
主祭神 |
乃木希典命 乃木静子命[1] |
社格等 | 旧府社・別表神社 |
創建 | 大正12年(1923年)[1] |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 9月13日[1] |
地図 |
乃木神社(のぎじんじゃ)は、東京都港区赤坂にある神社。明治期の軍人・乃木希典(乃木希典命)とその妻・乃木静子(乃木静子命)を祀る[1]。旧社格は府社。現在は神社本庁の別表神社。
概要
[編集]乃木夫妻が明治天皇大葬の日に自刃した邸宅(乃木公園・旧乃木邸として現存)の隣地に所在。
梅の花が咲く期間限定で「梅香守」を頒布している[2][3]。
歴史
[編集]明治45年(1912年)7月30日に崩御した明治天皇の大喪儀当日である大正元年(1912年)9月13日、乃木希典陸軍大将と妻・静子が天皇に殉じて自刃した。乃木夫妻の忠誠心に感激した国民は次々と乃木邸を訪れ、その数は日増しに増えていった。そして、夫妻の葬儀と同時に、乃木邸近くの、当時「幽霊坂」と呼ばれていた坂の名前も「乃木坂」と改められた。
大正2年(1913年)、阪谷芳郎東京市長(当時)が中心となって中央乃木会を設立し、乃木邸内の小社に乃木夫妻の霊を祀った[1]。そして大正8年(1919年)には乃木神社創建の許可が下り、大正12年(1923年)11月1日に鎮座祭が行われた。設計は大江新太郎が手がけた。
昭和20年(1945年)5月の東京大空襲で社殿を焼失したが、戦後全国の崇敬者の篤志により、昭和37年(1962年)9月13日、祭神50年祭に併せて本殿・幣殿・拝殿が復興された。なお、このときの設計は、新太郎の息子・大江宏が手がけた。また、昭和58年(1983年)には宏の長男・大江新と三男・昭によるコンクリート造の宝物殿が建てられた[4]。
境内社
[編集]周辺施設
[編集]- 乃木會館(乃木会館)
- 神社隣接の、婚礼・宴会等に使用される施設。レストランが併設されている。
- 乃木公園・旧乃木邸
- 神社に隣接する公園で、乃木夫妻が暮らした邸宅だった。乃木の遺言により、邸宅・馬小屋の建物ごと東京市に寄贈。公園として整備され、大正2年(1913年)開設[5]。明治35年(1902年)築の邸宅は現存する数少ない明治期の和洋折衷建築である。
その他
[編集]- 乃木家の墓所は当社でなく、近くの青山墓地の中にある。例祭日には墓前祭が行われる。
脚注ヘルプ
[編集]参考記事
[編集]- “乃木神社”. 東京都神社庁. 2020年7月4日閲覧。
関連出版
[編集]- 『乃木神社・東郷神社』別冊歴史研究「神社シリーズ」、新人物往来社、1993年
- 『かたくなにみやびたるひと 乃木希典』乃木神社総代会 編著、展転社、2018年
- 桑原嶽『乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す』PHP新書(新版)、2016年 - 中央乃木会理事
- 『乃木希典の世界』桑原嶽・菅原一彪 編、新人物往来社、1992年 - 論集
関連項目
[編集]- 乃木神社 - 各地にある乃木神社の一覧
- 乃木坂
- 東郷神社
- 秩父御嶽神社
- 塚田清市 - 乃木の遺言執行者で乃木邸を市に遺贈した。
- 江藤小三郎 - 思想家、社会運動家。没後の1975年(昭和50年)2月11日(建国記念の日)に、乃木会館において「江藤小三郎之命追悼慰霊祭」が開催された。
- 佐倉城址公園 - 1983年(昭和58年)の宝物殿新設に伴い、かつて当地に存在した茶室・三逕亭の移築先。
- 乃木坂46 - CDのヒット祈願や成人したメンバーの成人式を毎年行っている。メンバーの書いた絵馬が多く飾られている。ファンの聖地にもなっている。