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賦奉行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

賦奉行(くばりぶぎょう)とは、鎌倉幕府室町幕府において訴状の受付と担当する法廷を決定するを担当する奉行。賦方(くばりかた)とも。

鎌倉幕府では問注所、室町幕府では管領もしくは評定衆の下に置かれていた。また、鎌倉期の六波羅探題においても独立した職として評定衆級の御家人が任命されていた。『沙汰未練書』によれば、鎌倉幕府の賦奉行は訴状の受理、控への記入、訴状への加銘、引付への送付などを行った。引付の制度が形骸化した室町幕府では代わりに決定した個々の担当奉行人に送付した。具体的には賦奉行は訴状が形式・実質を伴っているかどうかを確認し、賦引付などの控を作成した後に訴状の裏に受理の年月日と訴訟の編目を記入して担当に送付したのである。

ただし、賦奉行が管轄するのは主として所務沙汰関連の分野であり、時期によって異なるものの、検断沙汰雑務沙汰、寺社・恩賞関連などは担当の役所(侍所政所寺社奉行など)に賦奉行に相当する役人が別箇置かれていた場合もあった。また、将軍主宰の評議であった御前沙汰では管領被官が賦奉行を務めて訴状の受付を担当させていたが、次第に将軍が特定の奉行人に賦奉行の役割を行わせることで管領の影響力を抑えるようになり、応仁の乱後に管領が御前沙汰に参加しなくなると管領被官の賦奉行も置かれなくなり、後には評定衆申次衆内談衆と称される将軍の側近集団が賦を担当した[1]

脚注

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  1. ^ 木下昌規「応仁・文明の乱期室町幕府の政務体制における一考察」(『大正大学大学院研究論集』33号、2009年/改題所収:「応仁・文明の乱期における室町幕府と日野勝光」木下『戦国期足利将軍家の権力構造』岩田書院、2014年 ISBN 978-4-87294-875-2

参考文献

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  • 安田元久「賦奉行」(『国史大辞典 4』(吉川弘文館、1984年) ISBN 978-4-642-00504-3
  • 山家浩樹「賦奉行」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年) ISBN 978-4-095-23001-6