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賞都郡(しょうと-ぐん)は、中国の新(8年 - 23年)の時代に現在の河南省の一部に置かれた郡である。
新の皇帝王莽が、前漢の汝南郡を汝汾郡と改称したときに分けられてできた[1]。『漢書』地理志には「賞都尉」とあるが、尉の字は後の挿入らしい[2]。分割の詳細は不明だが、新代には旧汝南郡の宜禄県が賞都亭と改称されている[3]。王莽が反乱軍に殺されたとき、賞都大尹(賞都郡の長官)の王欽は、将軍の郭欽とともに新のために京師倉を守っていた[4]。
- ^ 班固『漢書』地理志第八上。小竹武夫訳『漢書』3(筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年)、298頁。
- ^ 班固『漢書』地理志第八上。小竹武夫訳『漢書』3(筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年)、373頁注172。
- ^ 班固『漢書』地理志第八上。小竹武夫訳『漢書』3(筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年)、300頁。
- ^ 班固『漢書』王莽伝第69下。小竹武夫訳『漢書』8(筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年)、468頁。