貞源寺 (中野区)
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貞源寺 | |
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所在地 | 東京都中野区沼袋2-19-28 |
位置 | 北緯35度43分22.1秒 東経139度39分59.1秒 / 北緯35.722806度 東経139.666417度座標: 北緯35度43分22.1秒 東経139度39分59.1秒 / 北緯35.722806度 東経139.666417度 |
山号 | 永康山 |
院号 | 東照院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 慶長6年(1601年) |
開山 | 慶誉春公 |
開基 | 徳川家康 |
公式サイト | 浄土宗貞源寺|中野区沼袋の浄土宗・貞源寺公式サイト |
法人番号 | 8011205000280 |
歴史
[編集]1601年(慶長6年)、慶誉春公によって開山された。慶誉春公は、かねてより徳川家康から「自分が天下を取ったら、近くに寺を構えてくれ」といわれていた。関ヶ原の戦いの後、天下の趨勢が徳川家に決したのを機に、江戸に赴いて家康に謁見、約束通り江戸城内に「東正寺」を称する寺を構えることになった[1]。
その後、御茶ノ水に移転し、1657年(明暦3年)の明暦の大火で浅草松葉町(現・台東区松が谷)に移転した[1]。
その後、幕府より「上野に東照宮があるのに、その近くに東正寺という寺があるのは紛らわしいので改称せよ。」と命じられた。当寺は本寺の増上寺に相談したところ、「東正寺は家康公所縁の寺であるから、開山・慶誉春公の師で、家康公から帰依を受けた貞蓮社源誉に因み『貞源寺』を名乗るように。」と回答されたため、「貞源寺」を称するようになった[1][2]。
1923年(大正12年)の関東大震災で焼失したため、かねてより計画していた現在地に移転した。1945年(昭和20年)の空襲で再度焼失した。当寺の山号は「榮(栄)康山」であったが、「榮」という字には「火」が二つ並んでおり、縁起が悪いということで、以降は「永康山」を称するようになった[2]。
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本堂
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 中野佛教連合会 編『中野区寺院案内』中野佛教連合会、1983年