豊蔵一
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豊藏 一(とよくら はじめ、1927年9月5日 - 2013年12月30日)は、日本の建設官僚。
来歴・人物
[編集]1927年9月5日 東京府北多摩郡立川町(現在の東京都立川市)出身。
満州・大連第一中学校、第六高等学校を経て、1953年 東京大学法学部卒業後、建設省入省。都市局都市政策課長、総理府総理大臣官房会計課長、大臣官房人事課長、道路局次長、住宅局長などを経て[1]、1982年6月 大臣官房長に就任。1985年10月 建設事務次官に就任。
退官後は、阪神高速道路公団理事長、住宅・都市整備公団総裁、東日本建設業保証社長などを歴任。
2001年にプロ野球のセントラル・リーグ会長に就任し、2008年末にセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグが日本プロ野球コミッショナー事務局(日本プロフェッショナル野球組織)に統合され、リーグ会長職が廃止されるまで務めた。
その他の公職としては、東京都公安委員会委員、帝都高速度交通営団管理委員を務めていた。
2013年12月30日 86歳で死去[3]。
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第38巻 第2号』1995年2月発行、84頁
- ^ 「2001年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2001年11月3日朝刊
- ^ 元セ会長の豊蔵一氏が死去、86歳 MSN産経ニュース 2014年1月6日
その他の役職 | ||
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先代 高原須美子 |
セントラル・リーグ会長 第6代:2000 - 2008 |
次代 大越英雄 (セントラル・リーグ運営部長) |