豊田憲司
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県呉市 |
生年月日 | 1947年8月1日(77歳) |
身長 体重 |
176 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト5位 |
初出場 | 1972年4月16日 |
最終出場 | 1972年9月17日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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豊田 憲司(とよた けんじ、1947年8月1日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
[編集]私立呉港高校では1965年の夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、河本和昭投手のいた広陵に延長14回サヨナラ負け、甲子園には届かなかった。同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから5位指名を受けるが拒否し、芝浦工業大学へ進学。東都大学野球リーグでは、1年上の池田善吾とともに投の主軸となり、1968年秋季リーグでの優勝に貢献。大学同期に捕手の河村健一郎、片岡新之介(中退)がいる。大学卒業後にいすゞ自動車へ入社。1971年の都市対抗野球大会に出場。1回戦で松下電器の福間納と投げ合い完投勝ち。2回戦に進むが三菱自動車京都に敗退[1]。チームメイトに原田俊治(日本コロムビアから補強)、永尾泰憲がいた。
1971年ドラフト会議で西鉄ライオンズから5位指名を受け入団。1972年には初先発を含む21試合に登板するが好結果を残せず、1973年限りで引退した。
スリークォーターからの重いストレート、シュートを武器とした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1972 | 西鉄 | 21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 164 | 36.1 | 43 | 3 | 18 | 2 | 2 | 8 | 1 | 0 | 22 | 20 | 5.00 | 1.68 |
通算:1年 | 21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 164 | 36.1 | 43 | 3 | 18 | 2 | 2 | 8 | 1 | 0 | 22 | 20 | 5.00 | 1.68 |
記録
[編集]- 初登板:1972年4月16日、対近鉄バファローズ2回戦(藤井寺球場)、4回裏から2番手で救援登板、1回無失点
- 初先発登板:1972年7月30日、対南海ホークス19回戦(北九州市営小倉球場)、3回5失点(自責点4)で敗戦投手
背番号
[編集]- 29 (1972年 - 1973年)
脚注
[編集]- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年