豊田城 (大和国)
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豊田城 (奈良県) | |
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別名 | 豊田山城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 豊田氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 豊田氏、松永氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 空堀、土塁 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度36分27.2秒 東経135度51分14.6秒 / 北緯34.607556度 東経135.854056度 |
地図 |
豊田城(とよだじょう)は、奈良県天理市にあった中世の日本の城(山城)。
概要
[編集]天理市の現・天理教迎賓館の裏山に城跡が位置する。室町時代に付近に勢力を張った興福寺大乗院方の衆徒・豊田氏が居城とした。奈良県の城としては空堀が最も発達しており、二つの郭群を複雑な横堀が囲むほか、尾根の奥にも横堀がある。
室町時代中期に豊田頼英が台頭、明応年間まで豊田氏は越智氏・古市氏に属していたが敗れて没落し、筒井氏に属するようになった。永禄11年10月15日(1568年11月14日)に松永久秀に攻められ落城し、その後は松永方の支城となった。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(29.奈良県)』、角川書店、1990年