豊橋市立章南中学校
豊橋市立章南中学校 | |
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北緯34度41分45.09秒 東経137度20分5.44秒 / 北緯34.6958583度 東経137.3348444度座標: 北緯34度41分45.09秒 東経137度20分5.44秒 / 北緯34.6958583度 東経137.3348444度 | |
過去の名称 |
老津村立老津中学校 豊橋市立老津中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 豊橋市 |
併合学校 | 豊橋市立杉山中学校 |
設立年月日 | 1960年4月3日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C123210001279 |
所在地 | 〒441-3301 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
豊橋市立章南中学校(とよはししりつしょうなんちゅうがっこう)は、愛知県豊橋市老津町にある公立中学校。『章』は『彰』と同義で『あらわす』『あきらかにする』の意味で『南』は豊橋の南を表している。
概要
[編集]杉山地域にいずみが丘団地が開発されたため、生徒数は増加傾向にある。
クリーンエネルギー実践校として風力発電設備や天気測量機を導入している。総合学習で環境問題に取り組んでおり、風車が2台設置されている。この風車は、2000年に当時の1年生の有志によって、「この地域は冬場は強風が吹くことから風車を設置してはどうか」と学校側に提案し実現したものである。しかし強風による風きり音に対して住民から苦情がでて何度か風車を改良している。風車で発電した電気は、防犯灯、生ゴミ処理機、印刷室の一部電気などとして使用されている。
学校近くの汐川干潟の清掃活動なども行っている。
沿革
[編集]- 1947年3月 - 学校教育法に伴い、渥美郡老津村立老津中学校設立
- 1949年9月 - 新校舎設立
- 1955年3月 - 市町村合併に伴い豊橋市立老津中学校と改称
- 1960年3月 - 豊橋市立杉山中学校と統合され、市長採択によって新校名が章南と決定
- 1960年3月26日 - 老津中学校閉校式
- 1960年4月3日 - 豊橋市立章南中学校開校、生徒数509人職員21人でスタート。開校当初は校舎の増設が間に合わず1、2年は老津校舎で、3年は杉山校舎で授業を行っていた。学校運営管理も分担され、校長は月、水、金は杉山校舎、火、木、土は老津校舎へ登校した。部活動はほとんどが老津校舎で行われた
- 1960年11月 - 509人の生徒を収容できる校舎が完成
- 2000年 - 風車2機設置
- 2010年6月 - 静岡県立三ケ日青年の家(浜名湖)での野外教育活動中に女子生徒1人が死亡
学区
[編集]所在地
[編集]- 旧老津中学校の敷地にあり、北側で老津保育園・豊橋市立老津小学校、南側で豊橋市立家政高等専修学校と接している。
- 周辺には古墳が多く、隣には老津神社がある静かな環境にあるが、朝夕は明海工業団地へ通勤するクルマが頻繁に往来する。3年ほどで学校の横に国道259号のバイパスが開通する予定である。
アクセス
[編集]浜名湖・ボート転覆事故
[編集]事故の概要
[編集]2010年6月18日、静岡県浜松市北区(現:浜名区)の浜名湖において、静岡県立三ケ日青年の家の野外教育活動として行われたボート訓練中に起きた事故。教師2人および1年生の生徒18人、合計20人が乗った全長約7メートルの手こぎボートが転覆したもの[1]。この事故で1年生の女子生徒が死亡した。
当日1年生約90人が午後1時半からの陸上での座学などを終えたあと、20人乗りおよび30人乗りの手こぎのカッターボート、各2隻(計4隻)に分乗し[2]、小雨が降る浜名湖にこぎ出した。静岡地方気象台によると、当日正午すぎ浜名湖周辺には「大雨・雷・強風」の各注意報が発表されており、午後3時半ごろは平均風速で6.2メートルの風が吹いていた[1]。当日警報ではなく注意報であったため、活動が実施された[1]。
生徒の船酔いなどで操船ができなくなり青年の家のモーターボートがかけつけ、約20メートルのロープを該当のボートにつないでえい航中午後3時15分頃転覆したという[3][4]。女性教諭の証言でも、「えい航後しばらくしてオールが飛び、そしてボートがひっくり返った」という[5]。
転覆後2名の教師のうち、男性教諭と数人の生徒が水面に投げ出され、女性教諭を含む他の何人かの生徒は転覆後のボートの中に取り残された[5]。浜松市消防局によると、午後3時31分事故の一報が入り、午後4時2分に水難救助隊が到着しゴムボートで救出に向かった[6]。別のボートに乗っていた男子生徒によると、最初に救助の船が来てから助かるまでに、40分ぐらいかかったと話している[7]。
生徒1名が死亡した件について浜松市消防局は22日、救助の途中に遭難者の数え間違いがあり、捜索活動が遅れた可能性を明らかにしている[3]。救助後に湖岸や収容先の病院で点呼を行ったところ、当該生徒がいないことに午後4時38分に気付き、午後5時51分に転覆したボートの中の船尾付近でうつぶせに浮いた心肺停止状態の女子生徒が発見されたが[3]、その後病院で死亡が確認された。
裁判の経過
[編集]2013年2月12日、静岡県警察はいずれも事故当時の章南中学校の校長と、三ケ日青年の家の所長、訓練を実施した運営会社「小学館集英社プロダクション」のプロジェクトマネージャー(以上男性)、訓練指導者および静岡県教育委員会の課長(以上女性)と県の職員1人の計6人を業務上過失致死の疑いで書類送検[8]。同年3月26日、海難審判で横浜地方海難審判所が元所長に小型船舶操縦士業務の2か月停止の裁決[9]。
2015年1月28日、静岡地方検察庁は業務上過失致死罪で元所長を在宅起訴、他の5人を嫌疑不十分で不起訴処分とした。2015年11月26日、静岡地方裁判所が元所長に禁錮1年6月、執行猶予3年の判決[10]。
2016年4月7日、犠牲者の遺族が元校長を不起訴処分とした静岡地検の処分を不服として、静岡検察審査会に審査を申し立てる[11]。同年10月6日、静岡検察審査会は、静岡地検の元校長の不起訴処分を不服とし「不起訴不当」を議決。2017年3月9日、静岡地検は元校長を再度不起訴処分とした[12]。
脚注・参考資料
[編集]- ^ a b c “ボート転覆:20人投げ出され、女子生徒1人死亡 浜名湖”. 毎日新聞 (2010年6月18日). 2010年6月23日閲覧。
- ^ “震える唇 怖かった 浜名湖ボート事故”. asahi.com (2010年6月19日). 2010年6月23日閲覧。
- ^ a b c “遭難者数え間違い、女子発見遅れ…浜名湖転覆”. 読売新聞 (2010年6月23日). 2010年6月23日閲覧。
- ^ “浜名湖ボート転覆:移管後えい航初めて 青年の家所長謝罪”. 毎日新聞 (2010年6月19日). 2010年6月23日閲覧。
- ^ a b “浜名湖ボート転覆:「オール飛んだ瞬間に」教諭証言”. 毎日新聞 (2010年6月22日). 2010年6月23日閲覧。
- ^ “浜名湖ボート転覆:中1死亡 浜松市消防局・警防課長、「情報錯綜」を反省”. 毎日新聞 (2010年6月23日). 2010年6月23日閲覧。
- ^ “浜名湖ボート転覆:懸命の救助実らず「助かるまで40分かかった」”. 毎日新聞 (2010年6月19日). 2010年6月23日閲覧。
- ^ “元校長ら6人を書類送検 浜名湖ボート転覆事故”. 日本経済新聞 (2013年2月12日). 2020年8月10日閲覧。
- ^ “海難審判の裁決がありました。(読売新聞の記事を引用)”. 浜名湖カッターボート転覆事故を考える (2013年3月26日). 2020年8月10日閲覧。
- ^ “浜名湖ボート転覆事故 施設元所長に有罪判決 遺族は元校長の不起訴処分に不服申し立て”. 産経ニュース (2015年11月18日). 2020年8月10日閲覧。
- ^ “浜名湖ボート転覆「学校の責任問う」静岡検察審に遺族申し立て、元校長の起訴求める/静岡”. 毎日新聞 (2016年4月8日). 2020年8月10日閲覧。註・有料記事のため前半のみ掲載。
- ^ “社会回顧(下)2017年に東三河で起きた災害や事件事故の数々”. 東愛知新聞 (2017年12月31日). 2020年8月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 豊橋市立章南中学校ホームページ
- 「船舶事故調査報告書 MA2012-1 8 カッター(船名なし)転覆」 運輸安全委員会 2012 (PDF)
- 「海難審判(判決言渡)について 平成25年3月26日」 横浜地方海難審判所 (PDF)
- 浜名湖カッターボート転覆事故を考える 浜名湖事故で犠牲となった女子生徒の遺族が代表となって立ち上げたサイト。